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山王神社(神奈川県小田原市浜町)

作成日 平成25年10月21日
よみ  さんのうじんじゃ
所在地  小田原市浜町4-30-15 (北緯35度15分21.7秒  東経139度10分11.1秒)
 地図:国土地理院ウオッちず  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 山王神社
祭神  大山咋命 ( おおやまくいのみこと )
 大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
 少彦名命 ( すくなひこなのみこと )
由緒  境内の案内板には次のやうにある。
星月夜(ほしづきよ)の社 山王神社

祭神
 大山祇命 少彦名命 大山咋命
由緒
 明応四年(1495)二月北条早雲は、小田原城主大森藤頼を破り、小田原城を手中に治め、相模国を平定した。
 その頃の山王神社は北条家の郭内で山王曲輪(くるわ)と称へ、海辺なる袖の池ノ南袖ケ藪にありしが暴浪のため、その地崩壊せしかば、慶長十八年 (1613)九月十八日現地に移せりと。
 旧社地に星月夜ノ井戸ありしより、一に星月夜ノ社とも称ふ。その井戸も移して現地にあり。天正十八年小田原陣のとき、徳川家康は日々参詣ありし由、 又旧領主大久保氏の祈願所にして元禄中再建の用材は領主永世寄進の証状ありしと。
 寛永元年(1624)四月四日江戸初期の朱子学者林羅山は山王神社境内にて星月夜の詩を詠む。その詩にもある如く、当時の山王神社は星月夜ノ社と いわれ、小田原の名所なりしと、井戸も再現いたし、地底より湧き出る水面に浮ぶ大空の星映る往昔の姿こそ誰が神秘といわんや。この歴史ある 社と共に、星月夜ノ井戸を史跡として長く後世に伝えん。

一、明治六年七月三十日 旧足柄県に於て村社に定められる。
一、大正四年十一月一二日 神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
一、五月五日 例祭
参拝日  平成24年11月25日(日)
雑記  小田原駅から 西 東へ1.2km、山王側の右岸(西側)にある。南南東方向の海岸からは300mほどある。

 由緒の中にある、徳川家康の陣(今井権現神社)があったのは、天正十八年(1590)なので、山王神社は現在地に移る前。袖ヶ藪は、南の海岸に近いところ のやうだ。一方、相模風土記稿によれば1558年ころ原方村(後の山王原村)の南側松林のなか(山王河口東方)にあったといふ。家康が日々参詣した といふのは、山王川当方にあったときで、その頃、現在の山王神社の辺りは山王川を前にした小田原城の出城となってゐて家康側は攻めあぐねてゐたといふ。

 明治35年(1902)9月に発生した高潮、小田原大海嘯の記録画が奉納されてゐるといふ。Wikpediaによると波高は小田原、早川付近では 6mあったとされるといふ。

 11月25日は、小田原市内6社(内1社は3月に参拝してゐた今井八幡神社)を参拝した。12時過ぎに、小田原城内で自転車を借り15時すぎの当社の参拝の 実質3時間弱の神社巡りであった。小田原城から遠く離れたところまで行くのは、貸し自転車の趣旨と離れるので、さうしてはいけないのだらう。でも、まだ、 何社も遠くないところにあるので時期を見て再訪したい。


平成24年11月25日撮影

平成24年11月25日撮影

平成24年11月25日撮影

平成24年11月25日撮影 星月夜ノ井戸と林羅山の詩


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