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保命神社(神奈川県小田原市上曽我)

作成日 平成26年6月29日
よみ  ほうめいじんじゃ
参拝日  平成26年6月1日(日)
所在地  小田原市上曽我1422 (北緯35.315131 東経139.17664)
 地図:地理院地図(記号無し)  いつもNAVI
HP
祭神  
由緒  境内に案内板があり次のやうに記されてゐる
保命神社と金比羅神社
 保命神社はもと保命権現と称し、祭神は最乗寺の守護神道了と同体という。
 上曽我の鎮守は本来は第六天社(現在の須賀神社)であったが、後には保命神社も 鎮守と考えられるようになった。向って左の祠がそれである。
 金比羅神社は上曽我の舞戸(もうど)地区の氏神とされ、向って右側の祠がそれで、 現在、この二社が相殿に祀られている。
小田原市教育委員会



(転記者注 最乗寺:大雄山最乗寺(南足柄市大雄町)、当社の西10km)


水に係る記念碑が二つある。その碑文を転記する。
水道記念碑
舞戸部落は昭和廿九年一月上曽我全域に及ぶ村営水道の布設を提唱したが偶々下流水田耕作者一部の反対に遭ひその實現を見るに至らなかった 丗一年曽我村の小田原市合併を機とし舞戸地域に宿望の簡易水道を造ろうとの決意が再燃した 然るに反對者との紛争は依然妥結を見ざるため部落民は誠實の限りを盡し日夜言語に絶する苦悩を重ね精魂を傾けてこれが解決に盡瘁した 幸にも足柄上地方事務所及び小田原市當局の理解ある協力により同年三月丗日神奈川縣知事の許可を得直ちに着工 五月芹澤の取水地完工 八月配水池完了 遂に九月十八日全工事竣功し部落民歓喜の裡に通水式を挙行した 水源には御守護龍神御守護水神を併せ祀り水の恩恵に感謝すると共に神明の加護と子孫の繁栄を祈念した 本水道は所要経費並に労力を全て各戸の負擔とし近隣諸部落に先んじて完成したものである 茲に當時の労苦を偲び長く後世に傳う
  昭和丗二年九月十八日
     舞戸簡易水道組合員一同建之

(裏面には、総工費112万円、総延長2400m、他、38名の名前が刻まれてゐる)
記念碑
舞戸部落は古来より豊富な湧水に恵まれしを利用して簡易水道が完備し各戸への給水にことかくような事はなかったが偶昭和四十八年着工 された神奈川県広域水道事業団の曽我山導水トンネル工事に起因して湧水が枯渇してしまったので我々はあくまで古里の水を要望して百二十余 米に及ぶ深井戸を堀り配水池の増設等をなし万全の態勢をはかったが図らずも半年有余にして多量の鉄バクテリヤの発生をみて井戸取水を断念 部落総会の結果小田原市水道を導入する事となった その間対策集会を五百有余回重ね誠実の限りを尽して企業団と交渉に当り遂に昭和五十三年三月三日 渇水対策委員長鳥居喜久利と県中井一郎立会人のもとに覚書調印舞戸部落三十九戸に対し各戸月間百六十五立方米の水道料金を企業団が永久に代って支払う事になった これ偏に舞戸部落が一致団結し子々孫々の繁栄を祈念し苦闘した輝かしき成果である 茲に簡易水道組合解散にあたり詩して永久に後世に伝う
  昭和五十三年三月吉日   舞戸一同
雑記  上大井駅から南東へ1.3km、下曽我駅から北北西へ1.4kmのところにある。
 社殿内には昭和三十二年九月奉納の写真十枚を使ったパネルが、碑文の裏面にある中のお一人により、奉納されてゐる。


平成26年6月1日撮影 竺土寺(ちくどじ)境内の左側を行くと社殿へ続く石段がある。

平成26年6月1日撮影

平成26年6月1日撮影


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