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宗我神社(神奈川県小田原市曽我)

作成日 平成26年7月21日
よみ  そがじんじゃ
参拝日  平成26年6月29日(日)
所在地  小田原市曽我谷津386 (北緯35.30770 東経139.18700)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 宗我神社
祭神  由緒参照
由緒  向拝にある案内板には次のやうにある(縦書)。
郷社 宗我神社
    小田原市曽我谷津鎮座
一祭神  宗我都比古命
     宗我都比女命
  配祀 應神天皇
     桓武天皇
     小澤大明神
一例祭日 九月二十九日
一由緒  宗我都比古命ハ武内宿禰ノ子孫人皇後一條天皇長元元年
     十一月宗我播磨守保慶ソノ先祖ヲ祀ラムトシ勧請
     當地ノ鎮守トシテ北條氏稲葉氏大久保氏相次ギ尊崇ス


社頭の案内板にはつぎのようにある(横書)。下半分は英文(略)。
宗我神社
 祭神  宗我都比古命(そがつひこのみこと)
     宗我都比女命(そがつひめのみこと)
 宗我神社は明治28年の神社上書に依れば、「長元々年(1028)に奈良県橿原市曽我町の式内大社宗我都比古神社の神主だった宗我保慶が 祖先の宗我都比古命の墓を訪い、同時に武内宿弥及び宗我都比古命を鎮祭して・・・」が当社の創建と決めています。
 足柄上郡旧上曽我村及び曽我大沢と、下郡の下曽我に属する旧四村を併せて、古くは曽我郷六ヶ村と呼ばれました。その総鎮守が、宗我神社でした。 小田原北条氏の時代から小田原城鬼門擁護の神社とされていました。江戸時代には小沢明神の名で総崇され、明治に入って六ヶ村それぞれの鎮守を この社に会示し、新たに宗我神社となりました。現在の社殿は大正12年(1923)関東大震災後に復興したものです。
(「宗我神社のしおり」(*)によれば、改称は明治2年(1869)、近在7社の合祀は明治43年(1910) )
雑記  御殿場線下曽我駅から北東へ500mのところにある。
 拝殿内には何枚かの写真が掲げてあり、昭和49年度大祭記念、平成24年大祭出場記念の集合写真があった。祭りの山車を飾る彫物は見事といふ。
 社殿の右側には小さな鳥居と駒狐を供へた稲荷神社が、背後には数個の石祠があった。また、絵馬かけがあり絵馬やおみくじが結ばれてゐた。
 「宗我神社のしおり」(*)によると稲荷社は「千勝稲荷社」で当地の城主曽我祐信が安元2年(1176)城内に創建した氏神様で曽我氏 滅亡後、無縁を惜しんで慶弔15年(1610)に殿沢の東の辻に移され、明治11年(1876)に当社境内に移された曽我兄弟に縁のある社とのこと。石祠は、伊勢両社、 松尾社、宿弥社、阿夫利社、御霊社等といふ。

 曽我兄弟といへば、姉の 花月尼 は仇討の成功を祈り富士浅間神社に祈ったといひ、仇討の後、自身の住居前の吾妻山に浅間神社(二宮町)を祀ったといふ。

(*):「宗我神社のしおり」(3版 平成21年6月)


平成26年6月29日撮影 四角柱の碑は、西向きの面には「宗我神社」南向き面には「曾我兄弟遺跡城前寺」とある (城前寺は曾我兄弟の菩提寺)

平成26年6月29日撮影 鳥居は昭和31年奉納 2000m2が市指定保存樹林(昭和53年)となってゐる

平成26年6月29日撮影

平成26年6月29日撮影 向拝の扁額(左)と拝殿内の扁額(右)

平成26年6月29日撮影 向拝の彫刻


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