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八幡神社(神奈川県小田原市飯泉)

作成日 平成26年10月19日
よみ  はちまんじんじゃ
参拝日  平成26年9月19日(金)
所在地  小田原市飯泉1164 (北緯35.280017 東経139.164112)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 八幡神社
祭神  誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
由緒  平成4年に設置された案内板には次のやうにある。
八幡神社

鎮座地  小田原市飯泉1164
主祭神  誉田別命
例祭日  十月第一日曜日
境内末社 稲荷社・天神社・神明社

古来、茲飯泉は、鎌倉街道・大山街道・足柄山道。箱根山道等々が交錯し、殊に鞠(まりこ)川(現在の酒匂川)の渡し場と共に交通の要衝であったが、 同時に、洪水・地震・噴火に悩まされた住民は相謀り、永年の願望だった茲飯泉村に鎮守神を奉斎すべく、時の宗我○麿介広之(宗我都比古神社々主) に請願し、鎌倉八幡宮のご分霊を奉遷したのである。
其の後逐次近郊の末社を整理集合して、郷社として天下泰平・五穀豊穣・安産・永世平和の守護神として崇尊され祀られてでた。

○:ノ木偏に番

昭和四十一年四月竣成の社殿再建寄附名碑の冒頭には次のやうに刻まれてゐる。
今を遡る千二百二年大臣禅師弓削道鏡十一面観世音
堂を千葉臺に建立の際南都東大寺内鎮守八幡を分霊勧請
金堂守護を爲すに肇まり譽田別命を祭り大日孁命天穂日
命を配祀し勝福寺傳に天長七年飯泉に共に移るとあり
 應永○三年大森氏小田原城主となり堂社共に新築され
明治初期飯泉村に移管社殿甚だ腐朽し之が再建を盡す数
年今漸く復興の機を得内外の協賛寄附あり年初工を起し
四月十七日再建せる社殿新築落成の盛典を擧ぐと爾云
千葉:ちよう、現在の千代か?
雑記  東海道本線鴨宮駅から西北西へ1.4km、酒匂川左岸に近いところにある。東隣は、勝福寺で柵も無く接してゐて 出入り自由となってゐた。
 訪問時は、拝殿内で寄合ひがあるとみえ、人が集ってゐた。10月始めの例祭にむけてのものだらうか。向拝での参拝は気が引けたので、少し離れてお辞儀させて貰った。
 鳥居は昭和41年奉納。忠魂碑がある。花が供へられてゐた。

 この日は、鴨宮駅前で自転車を借り、近辺のお社を参拝し、国府津駅へ移り、併せて11社を参拝してきた。
 当初の計画は、国府津駅を降りて可能な範囲を歩くつもりでゐた。以前から電車の中から当駅前の貸し自転車に気づいてゐたが、計画では失念してゐた。 それがなぜかふらっと一つ手前の鴨宮駅で降りてしまった。吉とでた。自転車を借りたおかげで、当社を始め、比較的距離のある酒匂神社へも短時間で行けた。


平成26年9月19日撮影

平成26年9月19日撮影

平成26年9月19日撮影 (180度パノラマ撮影)


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