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酒匂神社(神奈川県小田原市酒匂)

作成日 平成26年11月3日
よみ  さかわじんじゃ
参拝日  平成26年9月19日(金)
所在地  小田原市酒匂2-27-1 (北緯35.268359 東経139.186245)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 酒匂神社
祭神  伊弉諾尊 ( いざなぎのみこと )
 伊弉冉尊 ( いざなみのみこと )
由緒  境内の掲示板には次のようにあった(縦書)
酒匂神社の由来

 酒匂神社の原神は、大和朝末期(650頃)大和朝から派遣された統治者が守護神として「八幡社」を祀ったのが最初であり、この頃、 高麗民族が渡米して、先進文化、特に棚織(はたおり)を広め「棚織社(七夕社)」等も祀られていた。
 平安末期(1130頃)後鳥羽上皇が箱根権現に、酒匂郷四十八町歩を寄進した。その後、安久五年(1149)に、箱根権現の富士上人参朝が、 寄進された地[免耕地(現在地)]に、箱根権現を勧請し「駒形社」を祀った。
 その駒形社についての記述は、貞和二年(1346)の「古文書」に小田原松原大明神と並んで酒匂駒形として初めて登場している。 「新編相模風土記稿」には天文二十二年(1553)七月二日に岡部出雲守廣定と酒匂郷檀那(小島左衞門太郎正吉)が、それぞれ懸仏(銅鏡)を寄進し、 そこに駒形大権現と記されている。「小田原衆所領役帳」にも北条幻庵(早雲の子)の所領として四十貫弐百五十文酒匂駒形分とある。 また前の「風土記稿」に元和七年(1621)に城主の阿部備中守正次が五石を寄進したとされている。
 その後、明治初年に始まるさまざまな神仏分離令により、近くの八幡社を、明治十年四月に駒形社の場所に移して酒匂神社とした。 祭神を伊弉諾尊、伊弉冉尊。駒形社の祭神、鸕鶿芽葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と定め、八幡社、金山社、諏訪社、 十二天社、白山社、雷電社、明神社、山王社、七夕社も合祀した。
 例祭は、七月七日に駒形社・八幡社の神輿が村中を巡行していたが大正末期に四月七日に変更した。(現在は四月の第一日曜日)
 [資料]箱根山縁起、新編相模風土記稿、諸州古文書、神仏分離令、皇国地誌(村誌酒匂村)
平成二十一年三月吉日      '
雑記  東海道本線鴨宮駅の南南東0.9kmのところにある。
 大正五年に建てられた明治三十七八年戦役者への表忠碑、慰霊碑がある。慰霊碑右手には、大正十三年に海軍省から酒匂村小学校に備付け記念品として下付されたらしい砲弾 (依代之譜 酒匂神社より)がある 


平成26年9月19日撮影 社号標には「昭和五年四月六日酒匂神社新築記念」とある

平成26年9月19日撮影

平成26年9月19日撮影

平成26年9月19日撮影 背面には「八幡社神殿 平成25年六月奉納」とある。神像だらうか。

平成26年9月19日撮影 塔は慰霊塔、その右は「酒匂小八幡 戦没者霊名」とある


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