よみ
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参拝日
| 平成26年9月19日(金)
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所在地
| 小田原市酒匂6丁目5 (北緯35度16分12.27秒 東経139度11分31.39秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP
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祭神
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由緒
| 覆殿のなかに掲示がある。日付がなく、いつ書かれたものか定かではない。
道三稲荷神社の由来
当地に鎮座する道三稲荷大社は、昭和十八年初午に丸の内から小田原工場開設と同時に遷宮され終戦を迎えたが、米軍による工場構内からの撤去命令により、
場外移転を余儀なくされた。小田原工場は、酒匂地区在住の「立川 龍三氏」に願い、同氏宅に遷宮、以降しばらくの間、
同氏の信仰厚きにより御分霊も守られ、昭和二十九年に至る。日本独立後、物心とも安定し、自由の息吹と伝統的敬神数崇祖念も戻ったことから、
同年二月の初午を期に小田原工場各課代表、官舎懇親会有志ならびに酒匂地区在住有志の発願によって現在の位置に鎮座された。伝えでは、
道三稲荷は、徳川幕府典医「道三」の邸宅内に祀られていたお稲荷が祖でるとされる。時期、場所等は一切不明で、
「典医・道三」が祀っていたのか、漠然と「道三稲荷」と呼ばれたのかも一切不明である。奉献されている獅子の彫刻や石燈からは、
相当古いものであることが、推察される。
道三稲荷本社は、関東大震災以前は丸の内、日清生命の裏手に鎮座され、附近の企業等に信仰者が多く、参詣の絶え間がないほど隆盛を極め、
商運向上祈願に霊験あらたかなる大神として高い信仰を得ていた。関東大震災後は、当時の会計課長「今井 勝太郎氏」の尽力により、
祠も神田橋、証券課分室角に祀られることとなり、さらには、大手町官舎横に遷宮されたが、終戦後、同地が米軍用地として接収され、
やむなく、撤去されるということになり、今日に至っている。奇しくも、近隣の地「箱根湯本・早雲時」に「典医・道三」の墓碑があることも何かの縁であろう。
また、「道三稲荷」は「安全祈願」にも霊験あらたかであるとされており、「典医・道三」と不思議な縁があるように思える。また、
「道三稲荷」は別名「昇給稲荷」とも言われ、その意味からも参詣者が多かったようである。激動の社会の今日、当地酒匂に鎮座し、小田原工場、
小田原健康管理センター、研究所を始め、地方の方々の「安全」「無病息災」「恒久平和」の祈願を司る大社である。
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雑記
| 東海道線鴨宮駅の南東1.2kmのところにある。
当社の北には国立印刷局小田原工場がある。
国立印刷局webによると「昭和十七年五月二十四日酒匂工場(現小田原工場)操業開始」とあるから、操業開始後最初の初午に遷座したことになる。
日清生命は明治41年設立、昭和16年に野村生命保険に吸収、昭和23年に前年設立の東京生命保険(相)に包括移転、解散してゐる。
日清生命の本社は昭和7年竣工の日清生命館、後に丸ノ内野村ビルディングと改められ、跡地には平成6年大手町野村ビルが竣工してゐる。
私事だが、勤め先の本社は一時、丸ノ内野村ビルディング内にあった。まれに用があり立ち寄ったが、古風な内装やエレベーターが記憶に残ってゐる。
(建て替へがあるとして本社は平成元年に移転してゐる。)
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