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紀伊神社(神奈川県小田原市早川)

作成日 平成27年10月19日
よみ  きいじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成26年10月18日(土)
所在地  小田原市早川1183ー1 (北緯35度14分2.21秒 東経139度8分30.50秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 紀伊神社
祭神 五十猛命 ( いたけるのみこと )
惟喬親王 ( これたかしんのう ) 
由緒  横書きの案内板には次のやうに記されてゐた。
紀伊神社
 早川の氏神様で往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、土地の人からは「木の宮さん」 と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。
 神社縁起によれば貞観年間(859〜876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とか奉祀されている。
 木地挽(轆轤師)の開発者といわれる惟喬親王は天安2年(858)京の都を追われて 伊豆(河津)に流罪となったが、途中風にあい国府津海岸につき早川の庄に至りこの地で没したといわれ、当時親王の 付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。
 また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残であると言う。
 なお、紀伊神社の社宝である「木地椀」は、小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、 中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。
雑記  東海道線早川駅から南南西へ0.6kmのところにある。線路の下を通って参道を行く。
 鐘楼が左手にある。戦争で供出後再鋳したと鐘にある。
 また、山県有朋書の忠魂碑がある。日清戦役、日露戦役、支那事変戦役、大東亜戦争の戦没者の名が記されてゐる。 日清・日露は各1名、支那事変10名。大東亜戦争は80名以上と圧倒してゐる。大正九年建立、昭和三十年八月十五日合祀とある。


拝殿前からは、東海道線の線路とその向かうに海が見える


社号標は、昭和44年四月二十四日に明治維新百年記念として寄進されたもの

境内社 扁額には「聖徳太子」とある


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