ホーム(都道府県の選択)神奈川県の神社にもどる

御嶽神社(神奈川県大磯町東小磯)

作成日 平成29年11月25日
よみ  おんたけじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年5月19日(金)
所在地  大磯町東小磯1006 (北緯35度18分41.47秒 東経139度18分36.49秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 御嶽神社
祭神  日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
由緒  社頭に案内板がある。それには次のやうにある。
御嶽神社 御由来

祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと) 彦狭知尊(ひこさしりのみこと) 手置帆負尊(たおきほおいのみこと)
 日本武尊は、様々な苦難を乗越えて東国を平定し、日本建国の礎となった英雄であります。小野の地(現在の厚木)の戦いで火攻めにあいましたが、草薙の剣で防いだことから「日防(ひぶせ)の神」として信仰されて」います。
 手置帆負尊は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸にお隠れになられた時に、彦狭知尊と共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り御殿を造営しました。天児屋根尊(あめのこやねのみこと)らが祈りを捧げ、天鈿女尊(あめのうずめのみこと)が舞を奉じたところ、天照大御神は岩戸を出られ御殿にはいられました。この事から彦狭知尊、手置帆負尊の両尊を林業、製造の神とされました。(日本書紀)
鎮守の神様
 御嶽神社は「おみたけさん」と呼ばれ、大磯町東小磯の鎮守の神様で、地域住民の平和と安全をご守護されています。新編相模国風土記稿によると、「東小磯の鎮守なり、神体三躯を置く、例祭九月九日、妙昌寺持ち」と書かれております。神社の前の道は旧鎌倉街道と云われ、この街道筋(小字古屋敷、小字王城ヶ谷など)に住んでいた人々は江戸幕府開府(1603年)間もなく東海道筋に移住され、宿場(南組)をつくりました。
宝物・石碑等
 神社本殿の内陣正面には、御神殿(妙昌寺奉納)があります。その中にある御厨子の中に木造の御神像(高さ、十四cm)と御神器の御鏡が安置されています。又、御神殿の手前に御鏡(高さ、四十五cm,藤原光長作、呪術、儀礼に用いられた)が置かれています。
 二の鳥居をくぐり、急な石段を登ると、左右に石灯籠が奉納されております。安政・文久年代(1850頃)の物で、大磯南組の駕籠屋中が繁昌していた頃に奉納されたものです。境内には稲荷社が祀られており、昔この付近に住んでいた「国よし家」の屋敷神様と伝えられています。
祭礼 例年九月九日(前後の日曜日)
神奈川県中郡大磯町東小磯 臺町町内有志一同

写真又は絵 略(表題と若干の説明文のみ転記)
 御神体(詳らかならず)
 軍配(御鏡裏面のサイン)
 御鏡(藤原光長 作) 呪術・儀礼に用いられる御鏡
 梅鉢紋(御鏡裏面のサイン)
 無題(御嶽神社境内及び周辺俯瞰図)
前山 茂 編・画
雑記  大磯駅の西0.3kmにある。(大磯駅は山側に出口は無いので、道程は遠回りとなる)

 一の鳥居は、昭和八年、二の鳥居は平成元年、「屋根修復記念」碑は昭和四十七年、「階段参道工事芳名」碑は昭和二十九年、手水石は寛政十一年の年記がある。 「歴史の町 大磯」によると、「氏子は神社近くの小字古屋敷などの住人が多く、江戸時代に東海道筋に出て台町、茶屋町、南本町に移住したが、いまだに御獄神社の氏子で、祭典は台町が斎行し、お守りしている。」(1)といふ。

写真


二の鳥居


稲荷社

脚注
  1.  平成29年11月21日閲覧 「歴史の町 大磯」 前山 茂 編 大磯駅山手 18.御嶽神社


inserted by FC2 system