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厳島神社(神奈川県大磯町生沢 東の池)

作成日 平成29年12月2日
よみ  いつくしまじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年05月30日(火)
所在地  大磯町生沢867 (北緯35度19分15.48秒 東経139度16分49.27秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 厳島神社
祭神  多岐都比売命 ( たぎつひめのみこと )
由緒  別称 東の池の弁天さん (ひがしのいけのべんてんさん)
 新編相模国風土記稿(1)には次のやうに載ってゐる。
弁天社二 各東西溜池ノ中島ニ祀ル。

 神奈川県神社誌(2)には次のやうに載ってゐる。
由緒沿革 伝説には大化改新(645)に米作の為水を授り神として祀られたと伝えられる。明治六年無格社となる。
雑記  東海道線大磯駅から西北西へ3.1kmの所にある。

 東側池畔に環境省・神奈川県による「関東ふれあいの道 8鷹取山・里のみち」の案内板があり、池について地図とともに次の記載がある。
「ここは生沢のほぼ中央 東の池 です。 この池は、生沢周辺約5haの田畑を潤すために江戸時代初期に造られた灌漑用の貯水池です。当時の掘割や堤の技術を駆使して造られ、現在も水利組合の管理のもと用水池として機能しています。」
「東の池は、鷹取山の東側を水源とする境川から水を取り入れています。観音寺近くにセキがあります。」
「大磯丘陵は地形的条件から水の利用は限られ、谷戸から流れ出る小規模な支流に頼らざるを得ませんでした。このような川はヤブッカワ(藪川)といわれ、大水が出ると水田が浸かったり、旱魃の不安も常に抱えて来ました。生沢周辺に存在した灌漑用の貯水池は、自然条件の中で工夫して生活してきた人々の象徴のひとつといえます。」
 なお、西の池 (厳島神社参照)についての記述もある。
 新編相模国風土記稿(1)にも次の記載がある。「溜池二 東池(段別一町)、西池(八段許)ト唱フ」

写真






向拝欄間の彫刻 拡大写真

脚注
  1.  新編相模国風土記稿巻之四十の生沢村の条(天保12年(1841)完成、鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用) (漢字は現在当用されてゐる字体に置換へた)
  2.  神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年刊 p.391 厳島神社(弁天社)


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