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六所神社(神奈川県大磯町国府本郷)

作成日 平成29年12月9日
よみ  ろくしょ じんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年5月30日(火)
所在地  大磯町国府本郷935(35度18分24.63秒 東経139度16分27.60秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 六所神社  Wikipedia:六所神社  当社HP
祭神  櫛稲田姫命 ( くしいなだひめのみこと )
 素盞嗚命 ( すさのおのみこと )
 大国主命 ( おおくにぬしのみこと )
由緒  当社HPによると「第十代崇神天皇の頃、出雲地方よりこの地に氏族が移住せられ、この地を『柳田郷』と名付け、氏族の祖神たる櫛稲田姫命を守護神とし『柳田大神』と称しました、御創建は崇神天皇甲申の歳と伝えられております。
 大化改新後、奉遷歴勅を以て相模国八郡神祇の中心たる、相模国の総社として現鎮座地に遷座いたしました。(以下略)」とある。

 新編相模国風土記稿(1)には六所明~社地図とともに、次のやうに載ってゐる。
六所明~社 当社ハ本州ノ総社ト唱ヘ、当村及ビ国府本郷、生沢、虫窪、四村ノ鎮守ナリ(行○抄曰、六所大明神、村ノ右ニアリ、小社ナリ、或ハ本社ハ是ヨリ北、生沢ニアリト云。按ズルニ、当村ト生沢相接スレハ堺ノ変革セシモ知ベカラス)。古ハ柳田大神ト号セシト云(柳田ハ所在ノ古名ナリ)。祭神ハ、稲田姫命ニシテ、須盞鳴、大己貴ノ二尊ヲ合祀ス。崇神天皇ノ御宇、勧請アリシト云。例祭正月三日、護摩ヲ修行ス。五月五日国中一(高座郡宮山村ニアリ)、二(郡中山西村ニアリ)、三(大住郡三宮村二アリ)、四(同郡四宮村ニアリ)、及ビ平塚新宿ニ鎮座スル、八幡ノ神輿、神揃山(前村ノ属)ニ集リ、一人ハ三種ト号セル、鉾ノ如キモノヲ馬上ニ押立、又一人ハ守公神ト号シテ榊ヲ持、次第ニ山ヲ下リ、茲ニ至リ、神事終リテ帰社ス。此祭事ハ、養老年間ニ始ムト云ヘト、未詳ニセス。治承四年、頼朝参詣アリシ事、東鑑ニ見ユ(割注略)。文治二年当社修造ノ結搆アリ(割注略)。建久三年、頼朝夫人平産祈ノ為神馬ヲ牽ル(割注略)。建長四年、宗尊親王京師ヨリ下向シ将軍ノ事始トメ。幣帛神馬等ヲ納メラル(割注略)。天文十三年、北条氏ヨリ、社領六十五貫七十八文ノ地ヲ寄附アリ(割注略)。後別当職トシテ真勝寺トナレリ。
参考  一の宮:寒川神社、 二の宮:川匂神社、 三の宮:比比多神社
    四の宮:前鳥神社、 五の宮相当:平塚八幡宮
雑記  東海道線二宮駅から東北東へ1.7kmの所にある。

 毎年、五月五日に馬場公園で行はれてゐる国府祭に行ってみたいと思ってゐるが、未だに実現してゐない。来年のカレンダーに今から記入しておかないと、また忘れさうだ。
 国府祭については、こちらを参照:wikipedia当社HP内大磯町HP内

 境内社には、六所龍神大神社、六所ひぐるま弁天社、六所稲荷社、稲荷社があった。

写真

平成九年建立の鳥居(文化十四年の高さ3.6m、真鶴小松石造の鳥居が自動車の衝突で全壊したため立替え)




忠魂碑(昭和三年)と国府地区戦没者顕彰碑(昭和五十九年建立)、建物は判らなかった


脚注
  1. 新編相模国風土記稿 巻之四十 国府新宿の条(天保12年(1841)完成、鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用、漢字は現在当用されてゐる字体に置換へた)


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