よみ
| かしま じんじゃ
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所在地
| 相模原市上鶴間本町3-7-11 (北緯35度32分21秒、東経139度26分39秒)
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HP
| ─ 神奈川県神社庁 神社詳細:鹿島神社
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祭神
| 武甕槌命 ( たけみかずちのみこと )
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由緒
| 旧村社。境内の掲示板には、(縦書き)
鹿島神社由緒の概要
一.神社名 鹿島神社
一.鎮守地 神奈川県相模原市上鶴間影山二九五三番地
一.境内地面積 七〇一坪強(二三一七.四平方メートル))
一.御祭神 武甕槌命 たけみかつちのみこと
一.創立 詳かならず
一.例大祭日 九月十五日、元鹿島祭九月五日
由緒沿革
創立詳らかではないが隣村との長い間の秣場争いの和解が、慶安二年八月寺社奉行町奉行勘定奉行の
署名裁可の図の谷口村下森の地に「かしまみや」と記してあるのが当時の鹿島神社であり現在の元鹿島
大明神石宮の所在地である。このあたりを下森の下屋敷と称し、石器土器の出土することがあるので此の
地の住民が創建した氏神がある。古くは下森と森野と福野森(大正十年日枝神社に合祀)の各々の異なる村
の地に鹿島神社が鼎立して居たので住民が三鹿島と呼んで居た。
おそらく建久年間源頼朝が鶴舞の里(鶴間)に鶴舞神社(今の浅間神社)を創建したと伝えられる頃、
これに因んで村人が相前後して関東、東北地方を開拓された武甕槌大神を祀る茨城県の鹿嶋神宮の御分霊
を各々の村に勧請したのであろう。記録によれば正徳辛卯元年社殿再建あり亨辛酉元年八月下森の地より
現鎮座地に遷宮、おそらく渋谷越後守義重系図記載の文禄甲午年氏神鹿島大明神勧請のゆかりの地であろう。
続いて石段鳥居新設、文化乙丑二年十一月下森の遷宮跡地に石宮建設鎮守古宮と称した。
文政巳卯二年十月現在の欅材建造の中宮殿を新たに完成、天保丁酉八年九月御神体を奉安、天保壬寅十三年
八月現在欅造りの春日鳥居再建、弘化丁未四年三月石灯籠一対、安政巳未六年八月神輿新調共に現存して
いる。嘉永発丑六年八月大幟○竿一対新調、これまで鹿島神社の行事のすべては青柳寺歴代住職により行われ
神社の名称も鹿島大明神または鹿島大神宮等と称せられたが明治戊申岩塩神仏分離令が発せられて明治四年
以後は無格社鹿島神社と称し奉る。大正九年四月明治十二年以来の社殿再建資金を充当して宝蔵殿新築
大正十二年九月関東大震災により草葺屋根社殿大破により、大正十五年四月現在の社殿新築上棟祭、昭和二
年社殿完成奉祝祭再建祈念碑建立した。後氏子の希望にり昭和八年三月社殿の亜鉛板葺屋根を除去し銅板葺
屋根に改めた。この頃までは、鹿島神社又は鹿島神社などと記録されたが以後は鹿島神社と定められた。昭和
八年四月村社に列しての年神?幣帛料指定村社となる村社鹿島神社と称し奉る。
以後神社境内の整備充実につとめ昭和八年狛犬一対昭和十二年上庭の玉垣及び旧七沢石造りの石段を
除いて新たに現在の花崗岩石材石段手洗鉢及参道の内玉垣中庭下庭の参道敷石祈念碑更に新参道境内地五五.七五坪
及び六0坪を増加し後太鼓橋社標、昭和十五年起源二千六百年記念花崗石造大鳥居を建設、つづいて境内
上庭東側の土蔵保全の石垣を積み大幟置場を現在地に移転、昭和二十四年現在の社務所舞台を公民館と
を社地として登記更に水利用井戸を設け昭和三十一年新参道に敷石建設、昭和参拾七年舞台及び外便所等
整備した。昭和四十年度大幟旗新調嘉永六年の幟と変えた、昭和四拾参年明治維新百年を記念して社殿及
び宝蔵殿、社務所の整備倉庫の新設及び下庭中庭上庭に至る周囲全域にわたり花崗石玉垣灯籠の新設
祈念碑建立等の整備を了し、昭和四十四年明治維新百年記念事業完成式典を大々的に挙行した。
後春日鳥居、舞台の奉額、元鹿島神社の境内地石段等の新設、昭和四十七年同祈念碑の建立及び
用地の寄附登記、古の土台石保存上庭玉垣等の大修理整備続いて旧来よりの境内に生しげった
松樅杉の大木枯死最後の整理跡地に苗木の植樹を了し現在に至る。昭和五十年九月例大祭を記念して
手水舎を新設、昭和五十年十二月社殿再建満五十年を記念して本殿殿幣殿の内部の整備を完了し昭和
五十一年新春を迎え現在に至る
昭和五十一年三月記
編輯 鹿島神社氏子総代
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参拝日
| 平成21年2月14日(土)
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雑記
| 今日は、町田駅から境川沿ひに近傍の神社を参拝し、南町田から電車で帰ってこようと計画した。
当社はその一社目。
JR町田駅の北口からは5分もかからないところにある。「毎月一日と十五日は皆さまのご参詣を
お待ち致しております」とある。拝殿をあけてくれてゐるのだらうか。
(一連の参拝先は、
鹿島神社、
茨山稲荷神社、
金山神社、
金森杉山神社、
惣吉稲荷神社、
長島神社、翌週21日に、
西田金山神社、
西田杉山神社、
公所浅間神社、
町谷八坂神社、
鶴間熊野神社)
御朱印と写真1枚を追加掲載。七五三に併せて再訪。菊が飾られ、何人も案内・整理の人が出て対応してゐる。
私にも声をかけてくれた。
(平成23年7月11日)
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