よみ
| そうきちいなり じんじゃ
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所在地
| 相模原市上鶴間本町8-499 (北緯35度31分42秒、東経139度27分10秒)
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HP
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祭神
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由緒
| 境内にある掲示板によると(縦書き、一部算用数字に置き換えて転記)
惣吉稲荷神社御由緒の概要
神社称号 惣吉稲荷神社
史跡指定 惣吉稲荷神社境内は、昭和五十一年八月二十八日相模原市の指定史跡となる。
鎮座地 相模原市上鶴間四九八−四九九番地
境内地面積 181.08平方米。所有者 上鶴間231番地 古木清左衛門ほか八十一名
創建年月日 不詳(後期の由緒沿革参照)
例祭日 二月初午
由緒沿革
一. 稲荷神社祭神の由来については(中略)
一. 惣吉稲荷神社の称号については、往時当神社の北側に浄土宗の無量山西光寺が在り、この寺
には三州岡崎出身の徳川家譜代の家臣で地頭大岡吉十郎義成夫妻の位牌があったといわれる。
義成は、天正十九年(1591年)五月上鶴間村の一部三百石の扶持が与えられ村の草分けである
高木及び小木の両氏を名主に用いて領地の運営を司り、後に扶持三百参拾石に加増され慶長四年(1599年)
四十二歳で没した。
当神社の西側に並んで現存する義成夫妻の墓碑は、二代作左衛門が建てたものである。
大岡家には惣吉という希にみる実直な忠僕があり主家に仕えて忠誠のまことを尽くし、義成没後は
自ら進んで西光寺の寺男となり生涯をその墓守に捧げた。
後に西光寺は、末社である稲荷神社を残して廃寺となったが、忠僕惣吉の誠忠善行と篤い信仰心を讃え
敬慕尊敬した人達は、「惣吉稲荷神社」と命名したという伝承もある。
一. 当神社創立年月は不詳であるが、後記所蔵板碑の年号からすれば、延文四年(1359年)と思われ、
又前期西光寺の開山と同時に設立されたものとすると明暦元年(1655年)であり、なお、新編相模風土記稿にも
明暦元年と記載されていること等を綜合して考察すると明暦元年の創立ではないかと推察される。
忠僕惣吉を合祀して惣吉稲荷神社と命名呼称した年月については不詳であり、往時の社殿は、集落が
段丘の下にあった関係上東向きであったものが、昭和三十六年に西向きに新築され今日に至っている。
一. 所蔵板碑二枚は、延文四年(1359年)の双碑で往時鎌倉古道がすぐ近くを通っており当時はその
路傍に立っていたものと思われる。
板碑の高さは、1.15メートル、幅は35センチメートルで阿弥陀如来は頭部の周辺に光輪を戴き、それに
は二十二本の線光背が浮き彫りされている。
(中略)
昭和五十一年十一月設立 謹立案古木茂 謹書伊東条
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参拝日
| 平成21年2月14日(土)
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雑記
| 今日は、町田駅から境川沿ひに近傍の神社を参拝し、南町田から電車で帰ってこようと計画した。
当社はその五社目。
境川の右岸からの畑地混じりの住宅地を通り段丘への急坂を登ったところにあった。地図を見ながら歩いたがようやくたどり着いた。
こぢんまりしてゐるがよく手入れされてゐる様子。中和田惣吉稲荷とも呼ばれている様子。
(一連の参拝先は、
鹿島神社、
茨山稲荷神社、
金山神社、
金森杉山神社、
惣吉稲荷神社、
長島神社、翌週21日に、
西田金山神社、
西田杉山神社、
公所浅間神社、
町谷八坂神社、
鶴間熊野神社)
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