神社訪問記HP神奈川県相模原市

天満宮(神奈川県相模原市南区当麻)

参拝日 平成29年9月27日(水)
作成日 平成30年3月31日(土)
追記日 令和6年4月16日(火)
よみ  てんまんぐう  
所在地  相模原市南区当麻(たいま)1 (北緯35度31分50.15秒 東経139度21分51.19秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 天満宮
祭 神  菅原道真公
由 緒  村社。
 境内には次の掲示があった。
神社名 天満宮
鎮座地 相模原市当麻一番地
祭神  菅原道真公
例祭  三月二十五日
由緒
 新編相模風土記稿等によればこの天満宮は延久五年・1073年二月二十五日、妙音が建てたものとされている。
 妙音は近江国三井寺の座主であったが世をのがれて当地に来たり天神を勧請し山王権現社一宇を建立した。
 御神体は菅原道真公の木座像、本地拾壱面観音の立像、湛慶作、古は大日堂にあったものと言われている。
 別当は天満山 明達院 梅松寺と言い他の一寺は明王院明行寺で明達院十三世の時分れて二院となった。
 両院とも不動明王を本尊としている。
 元文の頃(1736〜1741)牛頭天王を相殿に祀った。
 道真公は太政大臣を追贈され学問の神として尊崇されている。

 新編相模国風土記稿(1)には次のやうに載ってゐる。 小字の( )内は割注部分。
天満宮 村ノ鎮守トス。神体木座像。本地十一面観音(立像湛慶作。古ハ字大日堂ト云地ニアリ)例祭二月廿五日。相殿ニ牛頭天王ヲ祀ル(六月七日下宿二神輿ヲ移シ、十四日帰座ス)
 末社 稲荷
 松樹 (神木ナリ、囲一丈余)
 別当二院 (略)
雑 記  相模線原当麻駅から西ないし西北西へ1.0kmの所にある。

 当麻は、新編相模国風土記稿(1)によれば「往還村ノ南北ニ係ル(東海道平塚ヨリ武州八王子ニ達スル路ナリ)。此地駅郵ニテ人馬ヲ*送ス。古ハ当麻宿と唱ヘ、旅亭櫛比シテ繁富ノ地ナリ。旧クハ毎月六次ノ市ヲナシ、一六の日コトニ時用ノ諸物ヲ交易ス。」とあり「小名 上宿 下宿 市場 芹沢 原当麻」とあり、地名にも現れてゐる。また、相模川右岸の上依知村(現厚木市上依知)へ行き来するための渡津の記載もある。今は、都市化の進んでゐない所だが、古墳もあり、嘗ては周辺地域の中心的な所だったやうだ。
 神社庁包括下の神社が、当社の他、日枝神社、三島神社、浅間神社とあり、一村一社とならなかったのには関係者の苦労があつたのかと、拝察する。 (* 辶に虒、逓の正字体)

 当麻(たいま)村は、明治22年に下溝村と合併し麻溝(あさみぞ)村が発足し、麻溝村は昭和16年に他町村と合併し相模原町が発足してゐる。嘗ては宿のあったところだったが、現在の相模原市の中心は複数に分れ、相模大野・小田急相模原、相模原、橋本辺り。当麻ははずれてゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  参道は東から入って行く。


写真2  社殿は南向き。


写真3  


写真4  向拝の彫刻 拡大(298kB)


出典・脚注
  1. 新編相模国風土記稿 巻之六十八 当麻村の条 (天保12年(1841)完成、鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.04.16 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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