由緒
| 拝殿内に掲げられてゐるものによると、
日枝神社由来
日枝神社ハ式外村社ニシテ社地東西十三間、南北十一間 面積一四三坪、字上新戸本村ノ東北ニアリ、大山咋命ヲ祀ル、祭典例年十月十五日ナり
社中老樹樫アリ、明治十二年 『新戸村地誌編輯草稿』
総本社は天台宗延暦寺の地主神、日吉山王権現、元官幣大社の日吉大社。近江国の比叡山に鎮まる山の神で、森林や田畑の五穀を育てる日常生活
守護神。酒造り、茶業、蚕業の人々の信仰を集め、又、魔除、鬼門除、方除の神として、土木建築業関係者の守護神ともなっている。
稲荷社、兒明神を相殿に祀る。初鎮座年号は不詳であるが、主な修改築の経過は次の通り。
(以下、40行余りあるが、文字が小さく読取れない)
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境内には、第六天社がある。石碑には次のやうにある。
第六天社再建記念碑
第六天神社は祭神に面足命(オモダルノミコト)を奉じて広く全国各地に祀られ、主として災難厄除の神として一般庶民信仰の
対象となっております。
新戸第六天社は、現在の座間キャンプ地内、新戸字第六天原(俗称 談議場(ダンギバ))二八二七番地に鎮座し、古く江戸期から
新戸村民の災難、厄除け、安産、習字の守護神として信仰を集めていました。又、夏の雨乞いや洪水から農家を守る神でその存在価値
は高くありましたが、戦争中、昭和十三年に陸軍士官学校の校地拡張のため境内地、社殿は接収され、わずかにその御霊が日枝神社に
還宮されたと伝えられていたが、その所在は定かでなく、戦後三十数年、かつての氏子や地域の人達は再建を発起しました。その
信仰心に応えて、防衛庁は再建に対する補助を行いましたが再建場所に適地が無く、漸くにして日枝神社境内地に決定しましたので、
多数の地区住民のご賛同、ご協力を得て再建を行うものであります。
平成二年八月
新戸第六天社再建委員会
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