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望地弁財天(神奈川県相模原市中央区)

作成日 平成28年9月28日
よみ  もうち べんざいてん 地理院地図
参拝日  平成27年10月25日(日)
所在地  相模原市中央区田名5790あたり (北緯35度32分19.93秒 東経139度20分19.28秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  
祭神  
由緒  掲示板があり次のやうに記されてゐた。(横書)
   望地弁天(もうちべんてん)
 この弁財天は、もともとは江島神社に安置してありましたが、明治11年(1878年)に南光寺の森恵力(もりえりき)師が養蚕鎮守のため、望地河原の一画に「望島殿(ぼうとうでん)」を設けて迎えました。しかし、明治40年(1907年)の大洪水によって社殿は流出してしまい、運び出された坐像は一時南光寺に保管されていました。
 その後、昭和2?年の望地水田の整理に伴って現在の位置に社殿が再建され、再びここに遷座することになりました。この弁財天坐像は江戸時代の制作と思われ、市の重要文化財に指定されています。
   相模原市 相模原市観光協会
田名公民館のサイトには、望陽島と呼ばれる島にあったとの記述がある[1]。
雑記   社の近くに次のものがあった。
  • 清水下頭首工完成記念碑(昭和四十四年建立)
  • 万平穴(まんぺいあな)の表示や、碑があり、これが穴かな? と思ふところが有ったが、確信は出来なかった。それは八割方埋ってゐるので、土砂を除けてくれるといいのだが。安政年間に用水のために掘られたの全長120メートルの隧道で、完成したものの洪水で田が流出し、萬平穴の名のみ残ったといふ。名は、先頭に立って掘った陽原(みなばら)の人 中嶋萬平の名に由来してゐる。


背後は望地に続く崖、手前にはキャンプ場・水田がある。

望島殿の扁額がある。

たまたま、清掃に訪れてゐた方が、社殿の扉を開けて像を見せて下さった。
弁天像は傷みがあり、動かすと壊れそうで修理も容易ではない、とのこと。

脚注
  1.  平成28年09月26日閲覧 相模原の公民館 田名公民館 ズームイン田名 わたしたちの相模川 その2


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