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春日神社(神奈川県相模原市緑区長竹)

作成日 平成29年8月5日
よみ  かすがじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年10月27日(木)
所在地  相模原市緑区長竹175 (北緯35度34分5.22秒 東経139度16分17.13秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 春日神社
祭神   (由緒欄参照)
由緒  境内の掲示には次のやうにあった。
  春日神社

祭神  天児屋根命
    武甕槌命
    経津主命 又の名 斉主命(いはいのぬしのみこと)
    比売命

社格 旧村社 明治六年七月三十日列格
沿革 明応三年(1494年)六月勧請
 明応年間、南部の 奈良大炊助(おおいのすけ)、奈良縫殿(ぬいどの)両人が大和よりこの地に移り住むに際し大和春日神社を勧請し氏神としてこの地に祀つたもので、地名も奈良子とし発祥の地大和平城京を偲ぶと共にこの地に小平城京を建設しようとした。 新編相模国風土記稿に「別当泉乗院、貴船(きふな)、住吉の二神を合祀す 本地仏不空羂索(観音)例祭八月朔日」と記してあり、また「津久井鑑」の中に御徐地壱石七斗八升七合と明記してある。その構造は江戸時代初期で三社流れ造り正面の輪宝紋木鼻の象等、神仏習合を表した社殿であり寛延、寛政、文政、安政、明治の頃の改修の伝えもある。 往時は奈良一族の氏神であつたが串川流域一帯の広い信仰を集め崇敬され特に元旦祭は盛大を極め除夜の鐘と共に境内に篝火を焚き裸参りをする者も数多くあつた。尚往時の神域は相当広大で巨木鬱蒼たる御社であつた。
    昭和五十五年八月
 新編相模国風土記稿(1)には、「春日社 別当泉乗院貴船住吉二神ヲ合祀ス。本地仏不空羂索村中鎮守。例祭八月朔日」とある。

 大字長竹 (稲生 韮尾根 石ヶ沢 長竹) の総鎮守。

 「伝承によれば巨木で作られた臼にて餅を搗き、祭典の際、社前にてこれを氏子に領ち、神徳に浴したという。」(2)また、「神社の梵鐘は明治初年に取除かれ」(2)たといふ。
雑記  横浜線橋本駅から西南西へ7.2kmのところにある。

 境内には、灯籠が何基も奉納されてゐるが、傷んだ部分は補修や取替えなどして大切にされてゐる様子が窺へた。例へば、「慶應元年八月吉日 長竹山 泉乗院 宗寛代」とともに「平成十四年七月吉日○○○改修」と刻まれてゐるなど。
 社号標や平成2年奉納の狛犬の奉納者の苗字は「奈良」とあり、勧請時からの歴史がつながってゐる。

写真

一の鳥居。県道510号線からの参道入口

二の鳥居。一の鳥居との間には車道がと通ってゐる

御本殿

御本殿

大きな石碑には「大正七年十月竣工 水波能売神 韮尾根水道組合」・礎石に「昭和62年7月13日 解散」と、小さな方は「水神」と刻まれてゐる。 

境内社の稲荷社

脚注
  1. 『新編相模国風土記稿』 巻之百廿二の長竹村の条
  2. 『津久井郡文化財 神社編』津久井郡文化財調査研究会編 昭和62年 p.58「23.春日神社」


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