大曲神社>
祭神
| 国常立神 ( くにのとこたちのかみ )
豊雲野神 ( とよくもぬのかみ )
宇比地迩神 ( ういじにのかみ )
須比地邇神 ( すいじにのかみ )
角杙神 ( つぬくいのかみ )
活杙神 ( いくくいのかみ )
意富斗能地神 ( おおとのじのかみ )
意富斗乃弁神 ( おおとのべのかみ )
淤母陀琉神 ( おもだるのかみ )
阿夜訶志古泥神 ( あやかしこねのかみ )
伊邪那美神 ( いざなみのかみ )
伊邪那岐神 ( いざなぎのかみ )
天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
天忍穂耳命 ( あめのおしほみみのみこと )
瓊瓊杵命 ( ににぎのみこと )
彦火火出見命 ( ひこほほでみのみこと )
鵜草葺不合命 ( うがやふきあえずのみこと )
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由緒
| 十二神社の地に下大曲神社が平成22年に合祀された。下大曲神社の旧地に立つ石碑には次のやうに
刻まれてゐる。
下大曲神社の碑
昔は下大曲の地は下大曲村として独立し一七00年に大岡忠相が領主となり 氏神様として「下大曲神社」が建立された
当時は十戸足らずの小さな集落であった その後 明治に入り田端の貴船神社と合祀されたものの大正時代に入り再び下大曲
の地に戻された 昭和四十九年(一九七四年)七月「大曲児童館」建設のために境内敷地の一部を寒川町に貸与し 今般 同
施設の老朽化に伴い「大曲集会所」として 建て替えることとなり地域発展の為に協力することとなった
しかし境内の相当部分を提供することとなり、また下大曲神社の建物も老朽化が進み 更に神社前の道路は交通量が急
増し境内で祭典を催すことは非常に危険な状況となった 一方 大曲地区の世帯数は壱千世帯を超えたものの氏子の数は減少を
続け 将来的に神社の管理運営が困難な状況に陥る可能性も出てきたた等々を勘案し氏子の同意の元に 今般 合祀すること
となった
平成二十二年(二0一0年)三月二十八日
十二神社・下大曲神社合祀委員会
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下大曲神社(北緯35度21分23.4秒 東経139度23分43.4秒)
下大曲(現大曲2丁目)の鎮守で、江戸時代は「八幡社」と呼ばれていました。本殿内にある庚申塔は、承応2年(1653)のもので、
4本の手を持つ青面金剛像と2匹の猿を配する、湘南地方独特の庚申塔の中で一番古いものです。
十二天社 新編相模国風土記稿に「十二天社 社頭に安永八年(1779)の鐘あり、岡田村宝幢院持」とあります。明治維新の際、
十二天社を十二神社と改称しました。明治42年荒廃神社併合が国で決められた時、神社を存続させるためにはやむを得ないと反対を押し切っ
て神輿を180円で売却し、神社を存続させた石塚善太郎氏の功績は今も語り継がれています。寒川町資料より
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参拝日
| 平成23年11月3日(木)
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雑記
| 大曲神社は相模線寒川駅の南東へ約1000m、同香川駅から西北西へ約800mのところにある。
下大曲神社のあったところは、当社(大曲神社)から南東へ約400m、香川駅から西へ約400m
石碑の部分だけ縦書にしてみた。ブラウザーによっては対応してゐないらしいので、試みに留める。
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