神社訪問記HP神奈川県山北町

大室生神社 (神奈川県山北町中川)

参拝日 令和2年8月26日(水)
作成日 令和3年4月10日(土)
改訂日 令和6年3月9日(土)
 
よみ  おおむろう じんじゃ  
所在地  山北町中川307
  (35度26分8.82秒 139度2分33.85秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 大室生神社
祭神  大己貴命 ( おおなむちのみこと )
 伊弉那岐命 ( いざなぎのみこと )
 大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
由緒  神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立由来は不詳であるが、宝永五年(一七〇八)修造の棟札を蔵す。古来山北町山北室生神社の元宮として崇敬され、両社の例祭日には互に氏子惣代を巡遣して神輿の渡御に奉仕する。又室生神社の流鏑馬神事には古来中川、神縄二村より一年毎に的板の料を納めるのを例としている。

 当社大室生神社は流鏑馬で県指定無形文化財を受けてゐる室生神社(山北)の元宮。両社の距離は9kmほど、道程は15kmある。 流鏑馬の的はかつて神縄と中川が交代で奉納してゐたが、現在は中川より納められてゐる(2)
雑記  山北役場から北北西へ9km・道程15km、最寄駅の御殿場線谷峨駅から北へ8km弱、三保ダム堤体から北へ3.0kmのところにある。

 新編相模国風土記稿の「室生明神社」の項(3)には次の様にあり、当社との関係が判る。小文字の( )内は割注部分、但し、引用中の(下線部分は筆者による補ひ)
室生明神社 (中略) (按ずるに川村岸にある般若院縁起ニハ室生明神ハ大和国、室生山ノ眷属タリ 般若院現住了智勧請スト記セリ) 始中川村ニ在シヲ(其旧地今猶存セリ)天正八年川村岸般若院ノ後丸山ニ移シ其後当所天神ノ社地ニ移セシト云 (後略)
註 「旧地今猶存セリ」と云ふのが当社のこと。
  川村岸:地名で山北駅・当社の南東方で岸の地名が残ってゐる。
  大和国:現在の奈良県。
  天神:地主神のこと。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿・斜め前

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

社殿、やや後方から

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

奉額

俳句の様に思へるが、さつぱり読めない。平山の天満神社にも奉額があった(写真無し)。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.419
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之十六 川村山北の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 令和3年4月6日閲覧 山北町 室生神社の流鏑馬

改訂記録
  • 令和06.03.09 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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