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| 白籏神社 (神奈川県山北町谷ケ)
参拝日 令和2年8月26日(水)
作成日 令和3年4月17日(土) 改訂日 令和6年3月9日(土) |
しらはた じんじゃ
| 山北町谷ケ(やが)516 | (35度22分4.76秒 139度2分3.77秒) 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| 神奈川県神社庁 神社情報 白籏社
| 祭神
| 誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
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神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)。
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新編相模国風土記稿には次の様に載ってゐる(2)。
山北町HP(3)によると、 祭は「その後、春祭り(大祭)が3月23日、秋祭り(小祭)が9月23日となり、谷ヶ村が清水村に合併した後は春祭りが4月4日」となったと云ふ。また、「白籏神社祭り囃子」が伝えられてゐると云ふ。 雑記
| 御殿場線谷峨駅から北西へ0.4km(道程0.7km)、山北町役場から西ないし西北西へ4.7kmのところにある。
| 正面の縁に寝そべってゐる方がゐて、写真の撮影ははばかられた。涼んでゐるとの事。 ・谷ケ村は、大正十二年に川西村・山市場村と合併し、清水村の一部となった。 ・大正十四年に神縄村の字日影、日向、堀木沢などを編入。 ・昭和三十年に清水村・山北町・共和村・三保村が合併し、改めて山北町が発足してゐる。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) 社頭 鳥居脇の石像物は庚申塔。 |
写真2 拡大 (1280×960) 社殿 向拝に掲げられてゐる掲示額によると、本殿前には狼の石像(狛狼?)がおかれてゐる、元は木造だったが朽ちたので氏子一同が大正四年に再建奉納した、と云ふ。 |
写真3 拡大 (1280×960) |
写真4 拡大 (1280×960) 碑の拡大 :向って左(忠魂碑)、 「明治三十九年三月建設」と刻まれてゐるがセメントで埋められた模様。谷ヶ村一同、とある。日露戦役戦没者三名と大東亜戦争戦没者十名が日付と共に刻まれ、昭和三十三年四月再建ともある。 :向って右(明治三十七八年戦没紀念碑) 碑背をみると、昭和六年三月再建とある。十一名の名が所属階級と共に刻まれてゐる。忠魂碑の三名もある。 |
出典・脚注
改訂記録
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