神社訪問記HP神奈川県山北町

室生神社 (神奈川県山北町山北)

参拝日 令和3年4月28日(水)
作成日 令和3年11月6日(土)
改訂日 令和6年2月23日(金)
 
よみ  むろうじんじゃ  
所在地  山北町山北1200
  (35度21分32.17秒 139度5分13.81秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 室生神社
祭神  建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
 誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
 木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
 天児屋根命 ( あめのこやねのみこと )
 弟橘姫命 ( おとたちばなひめのみこと )
 速玉男命 ( はやたまおのみこと )
 素盞嗚命 ( すさのおのみこと )
 大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
 日本武命 ( やまとたけるのみこと )
 大日孁貴命 ( おおひるめむちのみこと )
 玉依姫命 ( たまよりひめのみこと )
 大山咋命 ( おおやまくいのみこと )
 大己貴命 ( おおなむちのみこと )
 菅原道真 ( すがわらみちざね )
由緒  元 郷社
 神奈川県神社誌(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由編沿革 往古は詳らかならず。新編相模風上記稿に依れば「村の鎮守神体三座を置く按ずるに川村岸般若院縁起には室生明神は大和図室生山の眷属たり般若院現住了知勧請すと記せり始め中川村に在りしを天正八年(一五八〇)川村般若院の後丸山に移し、その後当所天神の社殿に移せしという例祭九月二十九日流鏑馬あり中川神塚二村より隔年に的板の料を納むるを例とす」とある。
境内社 天王社

 新編武蔵国風土記稿には次の様に載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
室生明神社 鎮守トス。神体三座ヲ置 (案ズルニ川村岸般若院縁起ニハ、室生明神ハ大和国室生山ノ眷属タリ、般若院現住了智勧請スト記セリ) 始中川村ニ在シヲ(其旧地今猶存セリ(*)) 天正八年川村岸般若院ノ後丸山ニ移シ其後当所天神ノ社地ニ移セシト云例祭九月廿九日(流鏑馬アリ。中川神縄二村ヨリ隔年ニ的板ノ料ヲ納ムルヲ例トス。又相撲ヲ興行ス) 拝殿幣殿アリ。村持。
末社 天神(地主神ナリト云) 矢倉明神合祀 稲荷 天王
(*) 其旧地今猶存セリ:現在大室生神社が鎮座してゐる。
雑記  御殿場線山北駅から東南東へ0.6kmの所に鎮座してゐる。

 流鏑馬神事についての掲示が社頭にある(鳥居に向って右がわ)。
流鏑馬(やぶさめ)神事

室生神社の流鏑馬神事の由来は治承四年源頼朝公が石橋山に旗揚した折り、川村城主義秀公は平家方である大庭景親に味方した罪にとわれ領地河村を没収され、処刑されるところを景親の兄大庭景能に助けられ隠われていたところ、建久元年鎌倉に於て流鏑馬の行事が行なわれた時たまたま欠員が出来たのでその代替として参加しその抜群の妙技によつて罪を赦され旧領河村に復帰できた事を記念し、年々行なわれる様になつたと伝えられています
 そして七百八十余年の間、農民の手によって引継がれてきたものであります
又昔から一の的は早稲(わせ)、二の的は中稲(なかで)、三の的は晩稲(おくて)、としてその的に当る矢によつて翌年の稲作の植付の占として来たのであります
室生神社

平成二十年七月吉日更新
  室生神社流鏑馬保存会
         横溝悠士書

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社号標(写真左端)は「郷社室生神社」とあり、背面には「大正十五年十月建之 氏子中」とある。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

斜めから見た社殿

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

向拝の扁額

写真6
写真6 拡大 (960×1280)

彫刻

写真6
写真7 拡大 (1280×960)

本殿後方からの眺め。新緑があざやか。

写真6
写真8 拡大 (1280×960)

神馬


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.418-419
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之十六 川村山北村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.23 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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