神社訪問記HP神奈川県山北町

太神社 (神奈川県山北町岸)

参拝日 令和3年4月28日(水)
作成日 令和3年11月13日(土)
改訂日 令和6年2月23日(金)
 
よみ  おおのじんじゃ / たじんじゃ  
所在地  山北町岸177-15
  (35度21分22.06秒 139度5分56.45秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 太神社
祭神  伊弉諾尊 ( いざなぎのみこと )
 大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
 大己貴命 ( おおなむちのみこと )
 応神天皇 ( おうじんてんのう )
由緒 神奈川県神社誌(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由縮沿革 由緒沿革不詳であるが、明治四十一年村内各地区の子之神社二社、八幡神社、山神社五社を太神社に合併し、現在に至る。而し三保ダム建設に伴い昭和五十一年七月現在地に移転した。

 『相模の国からの物語』(2)によれば「秋葉神社:能安寺の境内社だったようです。太神社と共に元は世附本村(現三保ダムで消滅)という部落にありましたが丹沢湖三保ダムの建設で現在地に移転その時に二つ神社が統合されたようです。」と云ふ。

 新編相模国風土記稿の世附村の条(巻之十六)に、八幡宮 鎮守ナリ、とあるが太神社の記載は無い。同条に能安寺の記載はあるが秋葉神社の記載は無く白山神社が載ってゐる。
雑記  御殿場線東山北駅から西へ0.8kmのところにある。かつての鎮座地(世附村)からは南東へ4.5のところ。

 世附村(よづくむら)は、丹沢湖の西の部分、世附大橋があるあたりにあった。明治42年に玄倉村・中川村と合併して三保村の一部となり、三保村は昭和30年には山北町ほかと合併してゐる。昭和53年には三保ダムが完成し(着工は昭和49年)、世附村域は水没した。

 山北町地方史研究会の機関誌『足柄乃文化 第30号』に「太神社(秋葉神社)の変遷」と題した一文が載ってゐるらしい。厚木・横浜・小田原の図書館には置いてゐないので、山北図書館まで行かなければ読めないやうだ。
 調べがついたら、追記することにする。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社殿の遠景

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

斜め前からみた社殿

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

向拝の彫刻

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

向拝の扁額

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

社殿内

御本殿に立て掛けられてゐる札に「八幡神社 天照皇太神 大山祇命」の三柱名が記されてゐる。
(ズームして小さな文字も読めるやうに撮影しておけば良かったが、その時は札の存在に気づいてゐなかった)


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.416
  2. 令和3年11月12日閲覧 webサイト『相模の国からの物語』 「山北町岸 太神社・秋葉神社彫刻 渡辺長吉重晴」 2016-10-15 hontsubosuzuさん
  3. 『新編相模国風土記稿』 巻之十六 世附村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.23 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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