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神明神社(神奈川県大和市福田)

作成日 平成24年8月14日
追記日 ────────
よみ  しんめいじんじゃ
所在地  大和市福田528 (北緯35度26分4.4秒  東経139度27分17.8秒)
  国土地理院ウオッちず  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 神明神社
祭神  天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
由緒  大和市が市史編纂に当って市内神社の総代を集めての座談会 「市内の神社─座談会─(昭和55年7月収録)」の資料部分より(総代は張ケ谷一郎氏)
この掟書によると引地川沿いの三ケ所に地域を定めて九人が住みついた様子がわかる。北か ら松木ケ谷(境橋・山下)に小林大玄・広瀬藤八・田辺因幡守・山下半哉。南善ケ谷(代官庭)に保 田筑後守。根下ケ谷(中福田・下福田)に斉藤民部・広田刑部之介(現関水家)。駒井・市川が不 明であるが、大体このように住居をかまえた形跡がある。そしてそれぞれに小集落を形成して神 を祀り村の開発が徐々にされた。現在まで祀り続けられてきた福田の神社は小さく分ければこの 小集落の氏神であったと考えられる。すなわち、境橋部落の日枝社、山下部落の子之社、代官庭 部落の田中八幡社、中福田部落の神明社、下福田部落の若宮八幡社である。 神明社を氏神とする中福田は福田開発九人衆のうち斉藤民部が住した所で、他に市川・張ケ 谷・山口・吉川・安藤姓の六軒で掟書にある南善ケ谷と根下ケ谷の間に別の集落を作るようにな り、氏神として神明社を祀って神明谷戸と呼ばれる部落を形成していった。 神明社の社殿は昭和9 年の「渋谷読本」によると明和3(1766)年に再建されたとある。現在残っ ている棟札には天保2(1831)年に豆州大工山本友吉により本殿を改造し、同年10 月御遷宮を行 ったことが銘記されている。同5・6 年には負殿・拝殿を増築し、その後明治36 年に神楽殿を建立 している。大正12 年の震災により破損したが大修築が行われて現在に至っている。
 福田開拓九人衆は大永年間(1521〜1527年)に移ってきたらしい。
参拝日  平成23年10月9日(日)
雑記  小田急線高座渋谷駅の西北西900メートルほどの所。引地川右岸100メートル少し の所にある。
 写真のように台地上へ登ったところにある。境内には小さな木しかないが、社殿右方の倉庫前には 大きな切株があり、かつて大木があったとうかがへる。社殿と倉庫の間には稲荷社がある。


平成23年10月9日撮影
階段の上に社殿がある

平成23年10月9日撮影

平成23年10月9日撮影

平成23年10月9日撮影
石祠の背面には「昭和六十二年十二月吉日 中福田稲荷講中」とある


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