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田中八幡宮(神奈川県大和市代官)

作成日 平成24年8月14日
追記日 ────────
よみ  たなかはちまんぐう
所在地  大和市代官1-20-20 (北緯35度26分27.9秒  東経139度27分39.1秒)
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HP  神奈川県神社庁 神社詳細 田中八幡宮
祭神  応神天皇 ( おうじんてんのう )
由緒  大和市が市史編纂に当って市内神社の総代を集めての座談会「市内の神社─座談会─(昭和55年7月収録)」より (総代は保田重雄氏)
代官が鬼門除として応神天皇を八幡山という所にお祀りした。 地図にはのっていないけれど地元の人だけが知っている八幡山という地名がありま す。そこから現在の地に遷座して290 年になるわけで、代官筑後守が、そこへ祀った のが天正の頃だというふうにしるされております。

(中略)

『相模風土記稿』に貞享3(1686)年9 月上飯田村の本興寺(日蓮宗)住僧が再興した棟札がある とあり、伝承によれば元亀・天正の頃、代官保田筑後守が鬼門除けの守護神として八幡山に祀っ てあったものを、貞享年代に現在の地に遷座し、代官庭部落の氏神として崇敬したという。祭神の 応神天皇の騎馬像が安置されているが、やなぐいを背負い、弓を持ち、馬に乗っている彩色像で、 弓矢の神をほうふつとさせる勇壮な神像である。胎内に銘礼があり(当誌第2 号)嘉永3(1850)年 11 月に開眼したことが知れる。 他に棟札が二枚あり(当誌創刊号)嘉永3 年6 月4 日の再建と嘉永4 年2 月に福田村保田弥 惣兵衛が、正八幡大菩薩の御前で法華経の寿量品を二百巻奉誦したということがわかる。
(中略)
梵鐘があり、天保6(1835)年鋳造の銘文が残っている。
 鐘があるとしてゐるが、現存の鐘には、大東亜戦争に際して供出し再建した旨記されてゐる。
 「田中」の名は、田んぼの中にあったことに由来するらしい。
参拝日  平成23年10月9日(日)
雑記  小田急線高座渋谷駅から北北西へ約1000メートル、桜ヶ丘駅からは南南西へ1100メートルほどの所にある。 引地川右岸側にある。
 向拝には昭和六年奉納の「正八幡宮」の、拝殿内には「正八幡宮」の扁額がかかってゐる。
 境内には、遷座二百七十年碑(昭和三十三年建立? 田中氏子中)、八幡宮改築記念碑(相模中央氏子総代会会長)がある。 また、正八幡大菩薩のお堂がある。
 北へ200メートルの所に八幡山公園があるが、座談会で云はれてゐた八幡山と関係あるのかは判らない。
 正八幡宮の西100メートルほどの所には鬼子母神がある。地図上では神社の記号があったので訪れてみたが、 お堂には「神社ではありません」とわざわざ標記されてゐた。


平成23年10月9日撮影 社標柱後方の赤い屋根の建物は神楽殿

平成23年10月9日撮影 社殿右方に正八幡大菩薩がある

平成23年10月9日撮影

平成23年10月9日撮影 拝殿内部


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