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三保杉山神社 (横浜市緑区三保町)

参拝日 令和3年4月1日(木)
作成日 令和3年9月18日(土)
追記日 令和6年2月27日(火)
 
よみ  みほ すぎやまじんじゃ  
所在地  横浜市 緑区 三保町2079
  (35度31分0.52秒 139度32分1.31秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 杉山神社
祭神  日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
由緒  元 村社
 境内に設置の碑には次の様にある。
社殿新築之碑

宗教法人 杉山神社
   祭神   日本武尊
   合祀祭神 天照大神
   合祀祭神 猿田彦命
  境内神社 天満宮
   祭神   菅原道真

 杉山神社は、総研の時期は不詳ながら、慶長九年(1604)まで近隣併せ八か村の総鎮守であり、その後久保村(三保町)の鎮守となる。
 明治維新以後国家管理の下、明治六年(1873)村社に指定され、同十一年(1908)村内五社を合祀。大正九年(1920)神饌幣帛料共進神社に列せられる等の経緯を辿るも、昭和二十一年緊急勅令に基づき神社本庁を包括団体とする自主団体として存続する事となり、同二十八年宗教法人杉山神社として設立され現在に至る。
 元治元年(1864)に再建された本殿などは、大正九年の大改修を含め数次にわたり、修復されたが、近年頓に老朽化が著しく、また茅葺き屋根拝殿の維持管理が困難なこと等から、平成八年十月氏子中が相謀り広く浄財を募って、新築する事とし、同九年五月建設委員会を組織の上設計管理(株)社寺建築設計事務所(東京都江東区)、施工(株)上林工務店(長野県上伊那郡)により、同拾年十月三日例大祭に合わせ鳥居・玉垣・手水舎等付帯工事と共に無事完工をみ、遷座祭を挙行した。
 また、平成十一年十二月これまで合祀の天満宮を境内神社として創立し、遷座し得たことを併せ奉祝するものである。
建設委員長 矢嶋誠治
平成十二年十月吉日

 神奈川県神社誌にはつぎの様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立年代不詳であるが、古来より三保町の鎮守として崇敬せられている。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(2)
杉山社 (除地三百九十坪免田二段余村ノ東ノ方ニアリ本社二間ニ二間半拝殿二間ニ三間本社ニ造リ添タリトモニ巽向ナリ村ノ惣鎮守ニシテ例祭ハ十月十七日社前ニ鳥居ヲ立ツ)
雑記  横浜線中山駅から西北西へ0.6kmの所にある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居は、柱に「平成十年十月三日 氏子中」とある。

社号標 高さ1m程で鳥居の左側すぐにある(写真には写ってゐない)。「指定 村社杉山神社」、背面には「大正九年社殿再建 同年九月村社指定」とある(平成十二年設置の碑には「明治六年(1873)村社に指定」とあり相違がある)。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬は「皇太子殿下御降誕記念 伊勢参拝講 昭和十二年一月十二日」(その他、講元・世話人なども)とある。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

斜め前からの拝殿と覆屋

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

天満宮。太鼓橋は平成二十四年に改修されてゐる。

写真右端の円柱は、昭和九年に建てられた「御神木記念之碑」。御神木は杉で幹周り5m40cm、高さ34mだったと云ふ。

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

社殿側面。赤い橋は天満宮の太鼓橋。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.63
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十八 久保村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.27 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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