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西八朔杉山神社 (横浜市緑区西八朔町)

参拝日 令和3年4月9日(金)
作成日 令和3年9月25日(土)
追記日 令和6年2月27日(火)
 
よみ  にしはっさく すぎやまじんじゃ  
所在地  横浜市 緑区 西八朔町 208
  (35度31分42.27秒 139度31分37.05秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 杉山神社
・Wikipedia:杉山神社 (横浜市緑区西八朔町)
祭神  五十猛命 ( いたけるのみこと )
 大日孁命 ( おおひるめむちのみこと )
 素盞嗚命 ( すさのおのみこと )
 大田命 ( おおたのみこと )
由緒  元 郷社 六之宮 式内
 境内設置の碑には次の様に刻まれてゐる。
改築記念
延 喜 式 内 社
武蔵総社六之宮 
杉山神社
大國魂神社宮司  猿渡盛文拝書
一、祭神 五十猛命 配祀大日霊貴命 素戔嗚命 太田命
一、由緒 当神社は武蔵国の総社 大国魂神社の六ノ宮である。続日本後紀 承和五年(838)二月庚戌の条に武蔵国都筑郡杉山神社預之官幣以霊験也 とあるさらに同書承和十五年(848)五月庚辰の条にも奉授武蔵国无位杉山名神従五位下とある 六所武蔵国の総社、大国魂神社の成立は、神皇十二代景行天皇四十一年、都筑郡杉山神社は六の宮として西殿に祭られた。「武蔵総社誌」に六所宮東西の御殿に鎮座す六所大神等は東御殿に一の宮小野大神、二の宮小河大神、三の宮氷川大神、以上三所鎮座す。西御殿に四の宮秩父神社、五の宮金佐奈ノ大神、六の宮杉山ノ大神以上三所鎮座す、件の六所を総称して六所宮と称す。この六ノ宮に該当する神社が西八朔鎮座の杉山神社である。「風土記稿」に「慶安年中社領の御朱印を賜う 其の文左にのす」 武蔵国都筑郡西八朔村 極楽寺杉山明神領 同村之内五石六斗事任先規寄附之訖全可収納、並境内山林竹木諸役等免除如有来永不可有相違者也、慶安二年(1649)八月二十四日御朱印。以上の事実によつて当神社こそ式内社の由緒深きものである。
一、社格 明治六年十二月被列郷社との辞令 神奈川県庁より御下附あり。
大正九年九月十日神奈川県告示第362号を以て神饌幣帛供進すべき旨同県知事より指定あり。
昭和二十八年八月一日神奈川県指令第3990号を以つて宗教法人杉山神社として同県知事より認証された。
一、社殿 境内地昭和五十七年十一月三日改築 遷宮祭執行。境内地千四百六十三坪
昭和五十七年拾壱月吉日    杉山神社宮司 志村文雄 撰文謹書

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 当社は、延喜式に都「筑郡一座杉山名神」とあり、都筑郡唯一の式内社であり、武蔵国六の宮である。古くから地元民だけでなく、広く一般の人々の信仰の対象ともなった。続日本後紀承和五年三月庚戌の条に、「武蔵国都筑郡杉山名神預之官幣以霊験也」と見え、更に嘉祥元年五月庚辰の条にも、「奉授武蔵国無位杉山名神従五位下」と記され時の朝廷より贈位の恩命に接している。当社に残る棟札及び別当極楽寺の墓碑の年号より推して延宝年間に現在地に遷され、慶安二年八月二十四日付の朱印状が幕府より下賜されている。「武蔵国都筑郡西八朔村極楽寺杉山神社領同村之内五石六斗事任先規寄附之詑全可収納拝境内山林竹木諸役等免除如有来永不可有相違者也 慶安二年八月二十四日御朱印」。明治四十三年無格社神明社外四社を合併、大正九年九月十日社格郷社に列せられ、神饌幣帛料供進社に指定された。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
杉山社 (村ノ東方ニアリ上屋三間四方内ニ小祠ヲ置南向ナリ社前ニ鳥居ヲ立昔ハ西北両村ノ鎮守ナリシカ今ハ当村ノミナリト云北八朔村ノ小名ニ鳥居ナト云所アリ元此社ノ一ノ鳥居其所ニアリシトイヘハ西北一村ナルコトハ自ラ知ヘシ村内ニテ五石六斗ノ社領ヲ附セラル例祭年々八月朔日此日を用ルハ村名ニヨレリナト云サモアルヘシ神体ハ不動ノ立像ニテ長一尺許)
 別当極楽寺 (59字略 慶安年中社領ノ御朱印ヲ賜フ其文左ニノス)
武蔵国都筑郡西八朔村極楽寺杉山明神社領同村之内五石六斗事任先規寄附之訖全可収納並境内山林竹木諸役等免除如有来永不可有相違者也
 慶安ニ年八月廿四日 (御朱印アリ)
雑記  横浜線十日市場駅から東北東へ0.9kmのところにある。

 境内下の掲示板には年中行事の説明や境内設備等の写真が掲示されてゐた。また、御朱印について、書置きは近くのお宅で頂けること、柿生の琴平神社では御朱印帳へ直接記入可能との案内もされてゐた。

 当社は式内社としてゐるが、一般には有力論社とされてゐるらしい。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

階段右側の碑は「鳥居改築記念碑」、碑背に「昭和二十七年十月」の年記がある。現鳥居は木製の両部鳥居で腐蝕は無いので、碑の鳥居は現存してゐないと思はれる。

写真右側の大木の根元には、地神塔(天保十五年二月の年記、武州都筑郡 西八朔村 下村 山谷 とある)と庚申塔(小机領之内八朔村)が立ってゐる。庚申塔には元文四己未年(1739)とあるやうに見える。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

写真の左側には、力石が置かれてゐる。説明の碑があり「相模国大山阿夫利神社へ五穀豊穣の祈願に詣でた折に相模川の河原より担いで奉納されたものと伝えられてゐる」「重量二十五貫目 (93.75キログラム)」と云ふ。厚木から担いできたとしたら距離17kmもある。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社前の灯籠は、「昭和十六年八朔建之」「西八朔町 氏子中」と刻まれてゐる。

向拝に掲げられてゐる扁額は大國魂神社宮司猿渡盛文拝書。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

写真右側のあかい鳥居のある境内社は、表示は無かった。神奈川県神社誌(1)には「境内社 稲荷社」とある。

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真がおかれてゐる。一つは、大国魂神社くらやみ祭りと題された写真。

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

社前からの眺め

狛犬は台座に「昭和十六年四月吉日建之」「西八朔町青年団 解散記念」とある。

御朱印
御朱印 拡大 (457×640)


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.68
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十三 西八朔村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.27 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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