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日枝神社 (横浜市緑区小山町)

参拝日 令和3年4月9日(金)
作成日 令和3年9月25日(土)
追記日 令和6年2月27日(火)
 
よみ  ひえじんじゃ  
所在地  横浜市緑区小山町(こやまちょう) 351
  (35度31分15.14秒 139度32分15.67秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 日枝神社
祭神  大山積神 ( おおやまつみのかみ )
 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
由緒  元 村社

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(2)
由緒沿革 創立年代不詳であるが、氏子祖先が此地に土着、生活の中心として神社を造営したものである。小村落ではあるが古くは五社あったことが新編武蔵風土記稿に見えている。当社は旧社名を山王社と称したが、明治初年日枝神社と改めた。大正十三年稲荷社を合併、他の三社を境内社として祀る。同年氏子中の寄進により現今の社殿新築、同十三年十月二十四日神餞幣帛料供進社に指定せられ爾来小山町産土神として篤く崇敬されている。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(3)
山王社 (除地六畝村ノ乾ノ方ニアリ上屋一間半ニ一間半坤向ナリ例祭ハ十月二十九日村ノ鎮守ニシテ観護寺持以下四社モ同寺ノ持ナリ)

  註 当社の他に、第六天社二、稲荷社二、神明社の五社が記録されてゐる。
雑記  横浜線中山駅から北北西へ0.7kmの所にある。

 境内社は、一つは本社に向って右手に小さい石祠がある。社名は不明だが、側面に「明治二十四年二月初午」、正面下部に「小山 下講中」とある。
 もう一つは、参道の階段を登り切った左手奥にある。木造の覆屋で社名の表示は無かった。手水鉢と灯籠を備へてゐる。手水鉢は願主は当村の方で、明治二十亥年三月吉日と年記がある。
 なお、神奈川県神社誌(1)には「境内社 天照大神 牛頭天王 大六天社」とある。

 他に、二十三夜塔(小山村講中 弘化三年)、堅牢地神(小山村講中)、道祖神( 小山村下講中)、普門品供養塔 がある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居は柱に「維持明治三拾三年壱月吉辰建設」「中里村小山 氏子中」とある。

バス停は「小山町」

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

灯籠は「昭和四年 参宮記念」

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬は台座に「神社改修記念 小山町有志一同 昭和六十一年十月建立」「奉祝 天皇陛下御在位 六十年記念」とある。

社殿に向って右手に、石祠が小さく写ってゐる。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内、御本殿が写ってゐる。

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

社前からの眺め

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

境内からの眺め。

恩田川とその氾濫原の向かうに横浜線の列車が走ってゐる。


出典・脚注
  1. 令和3年9月17日閲覧 神奈川県神社庁 神社詳細 日枝神社
  2. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.66
  3. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十八 小山村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.27 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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