神社訪問記HP神奈川県横浜市 > 緑区

十二神社 (横浜市緑区北八朔町)

参拝日 令和3年4月9日(金)
作成日 令和3年9月25日(土)
改訂日 令和6年2月26日(月)
 
よみ  じゅうに じんじゃ  
所在地  横浜市緑区北八朔町 1266-1
  (35度31分37.70秒 139度32分26.00秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 十二神社
祭神  伊邪那美命 ( いざなみのみこと )
 木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
 菅原道真 ( すがわらみちざね )
由緒  境内の掲示には次の様に記されてゐる。
十二神社の由来
十二神社にようこそ御参りくださいました。
当十二神社は、旧称・十二天社と称し創建は慶安二年、1447年頃室町時代の初期と思われる。(560年ほど前の創建と思われる。)
祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
境内社 小御岳 磐長比売命(いわながひめのみこと)
浅間宮 木花咲邪姫命(このはなさくやひめのみこと)
天満宮 菅原道真(すがわらみちざね) 学問の神
由緒 旧称 武蔵国都筑郡中里村字北八朔
現在 神奈川県横浜市緑区北八朔町1266番地
由緒沿革 武蔵国風土記によれば、十二神社は旧称十二天社と称し慶安二年、1447年 久世大和守領地の時、武蔵国久良木郡本牧の十二天社を当村に勧請せりと記されている。
 北八朔の十二神社(十二天社)の命名の元と思われる、本牧十二天社の天像が明治初年の神仏分離令により本牧十二天社の別当地であつた多門院に分けられ十二天社は大日孁命(別名・天照大御神)を祀り本牧神社と改称されております。
 現在本牧十二天社は中区本牧の和田山に本牧神社として御遷座されています。十二神社の祭神(木花咲邪姫命)と本牧神社の祭神(木花咲邪姫命)と同名の祭神を祭っていることから、北八朔町の十二神社の名称も、同時期頃に十二天社から十二神社に改称されたものではないかと推定される。
北八朔町十二神社  
平成二十三年十月吉日

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(2)
由縮沿革 慶安二年、久世大和守が、久良岐郡本牧にある十二天を勧請したと新編武蔵風土記稿には記している。大正五年五月二十一日神餞幣島料供進社に指定され、爾来北八朔町の鎮守として篤く崇敬されている。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(3)。( )内は割注部分。
十二天社 (除地二十八歩村ノ中央ニアリ上屋三間ニ一間半東向ナリ内ニ小祠ヲ置例祭ハ年々八月五日村ノ鎮守ニテ村民ノ持ナリ勧請ハ慶安ニ年久世大和守領地ノ時久良木郡本牧ニアル十二天ヲ当村ニモ勧請セリト云社前ニ鳥居アリ)
 末社弁財天 (右ノ方ニアリ)
天神社 (見捨地三坪許字天神木ニアリ北向ナリ村民ノ持)
雑記  横浜市営地下鉄4号線(ブルーライン)川和町駅から西南西へ0.8kmのところにある。 水田となってゐる鶴見川の氾濫原から丘への途上にある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

鳥居は昭和五十八年に改修されてゐる。

写真の右手は自治会館が新築されるやうだ。旧会館は取払はれてゐた。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

狛犬は、「昭和十年五月吉日」の年記がある。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

社殿は木の色が未だ新しいと思はされる。昭和三十六年の年記のある再建資金寄附者芳名掲示がある。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

境内社 天満宮
次の説明が掲示されてゐた。
 当社の天満宮(天神様)は創建当所は現在地より北方の天神鼻(てんじんばな)の地、北八朔小字名に祀られており、耕地整理事業により当神社境内に遷座されました。
 尚鶴見川にかかる天神橋の名のもとは天神鼻の地にかけられた橋で天神橋と命名されました。

 創建  文久二年 1862年
 社殿  平成二十五年十二月吉日 竣工
       伊勢神宮 式年遷宮の年竣工


写真6
写真6 拡大 (1280×960)

本社に向って右手にある石塔群

写真右側から、二十三夜塔(武都筑郡北八朔村)、大日如来(武州都筑郡両八朔村)、庚申塚(武州都筑郡北八朔村 講中)、浅間宮(西北八朔村)、堅牢地神(八朔村)、小御岳、地神、

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

社前からの眺め


出典・脚注
  1. 令和3年9月24日閲覧 神奈川県神社庁 神社詳細 十二神社 (令和5年7月のHP一新により存在無し)
  2. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.65
  3. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十三 北八朔村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.26 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system