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青砥杉山神社 (横浜市緑区青砥町)

参拝日 令和3年4月9日(金)
作成日 令和3年10月1日(金)
追記日 令和6年2月26日(月)
 
よみ  あおと すぎやまじんじゃ  
所在地  横浜市緑区青砥町 635-81
  (35度31分9.09秒 139度32分46.86秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 杉山神社
祭神  五十猛命
 (合祀)日本武尊 応神天皇 大日孁貴命 面足尊
由緒  境内に由緒の掲示等は無かった。

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創建年代不詳であるが、大正四年八月二十日、村内にあった無格社御嶽社外四社を合併、大正九年十月十二日神餞幣帛料供進社に指定された。昭和五十三年氏子の寄進にて改修を行った。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
杉山社 (除地一段五畝村ノ中程ニアリ上屋二間ニ二間半南向ナリ神体ハ木ノ坐像長六寸許本地不動ノ形ニテ丸キ銅板ニ鋳出セリコノ社ハ村ノ鎮守ニテ例祭年々八月十六日佐江戸村無量寺ノ持)
 末社稲荷社 (本社ニ向テ右ニアリ)
雑記  横浜線中山駅から北東へ0.8kmのところにある。

 上に引用した由緒に「無格社御嶽社外四社を合併」とあるが、社名等の調べは出来てゐない。新編武蔵風土記稿には、当社の他に次の社が載ってゐて、正八幡社以下の五社が合併されたらしい(出典不明)。
 ・青砥神明社 ・正八幡社 ・神明社 ・山神社 ・第六天社 ・三嶽社(「御」ではない)

 帰宅して写真を見ると、社殿と共に狛犬・灯籠を写してゐなかった。狛犬単独の写真はあるので、紹介すると、「大願成就」「征露紀念 陸軍歩兵上等兵 氏名 明治三十九年壱月吉日建之」と刻まれてゐる。
 他に、手水鉢は「明治拾四年九月初五日」と年記がある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

参道脇の標は「参道新設」と「皇紀二千六百年記念」

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

斜め前からの社殿

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

境内社 稲荷社と御嶽社

御嶽社については、覆屋内に由緒掲示があり、次の様。
御嶽神社
この社はその昔武蔵国青砥と称した頃武州御嶽神社の分神として恩田川のほとり現在の都橋から約三百米上流に祀られ農業の神として住民から信仰を集めておりましたその後大正四年頃当神社境内に合祀され今日に至りました
当時御堂のあつた周辺の場所を御嶽堂と呼び青砥町字御嶽堂として最近までその名を留めておりましたが土地の区画整理等により順次消滅されつつあるのが現況であります
現在の社は昭和五拾参年杉山神社改修の際当所大工棟梁一川倉之亟氏が寄進されたものであります。



出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.64
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十四 青砥村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.26 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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