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鴨居杉山神社 (横浜市緑区鴨居)

参拝日 令和3年4月16日(金)
作成日 令和3年10月16日(土)
追記日 令和6年2月25日(日)
 
よみ  かもい すぎやまじんじゃ  
所在地  横浜市緑区鴨居 4-13-1
  (35度30分28.74秒 139度33分59.74秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 杉山神社
祭神  日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
 天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
由緒  元 村社
 境内の掲示
鴨居杉山神社
 祭神  日本武尊
     天照大神(明治三十九年合祀)
 社有地 八百坪(2661平方米)
御由緒
 当神社は宝徳元年(皇紀2109年)の創建であり、それ以来この場所に鎮座ましまし、神社明細帳には、明治八年十二月村社(旧社格)に列せられたり、明治二十四年五月五日神明社・稲荷社を合併せり」と記載されている。
 杉山神社は鶴見川水系(帷子川を含む)を中心として集中しており「新編武蔵風土記稿」に越えた北側には全く分布を見ない。霊験あらたかな神社として往時この様に数多く建立された様である。延喜式の神名帳には唯一の延喜式内社として記載されているが、どの神社が該当するのか定かではない。
 当鴨居は数十年前迄、戸数九十戸に満たない純農村であったが、創建の昔より大切にお護りして来た鎮守様であり、今後も心のよりどころとして尚一層、崇敬の念を新たにしなければならない。
 側社として裏山の中腹に、大山阿夫利神社・榛名神社をお祀りしてある事を附記して御由緒とする。
 平成十四年九月二十九日
   (皇紀2662年九月二十九日)
鴨 居 杉 山 神 社
鴨居杉山神社奉賛会

 神奈川県神社誌(昭和57年)には次の様に載ってゐる。
境内社 山王社 熊野社 稲荷社
由緒沿革 宝徳元年の創立と伝えられ、鴨居町の鎮守として崇敬せられている。

 新編武蔵風土記稿(文政13年)には次の様に載ってゐる。( )内は割注部分。
杉山社 (除地三畝村ノ東ニアリ覆屋四間ニ二間半南向ナリ山王ヲ合殿二祭レリ村ノ鎮守ニシテ例祭ハ神明ト隔年ニ修ス)
神明社 (除地二段二十一歩村ノ西ニアリ覆屋一間半ニ二間内ニ小祠ヲ置巽向ナリ社前ニ鳥居ヲ立村民ノ持ナリ)
雑記  横浜線鴨居駅から南へ0.2km余の所にある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居:「平成二十二年三月吉日」「氏子中 建之」と柱にあり、扁額は「杉山神社」とある。

灯籠一対:台に「大正四年三月建之」とある。

境内社天満宮:鳥居をくぐって右手にある。写真4参照。

手水舎:鳥居をくぐって左手にある。
写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿 拝殿正面

階段を登りきると、左右に狛犬、正面に社殿がみえる。

社殿に向って右手前に自治会館がある。
左手には慰霊碑がある。(写真6参照)
社殿後方右に境内社がある。(写真5参照)
写真3
写真3 拡大 (1280×960)

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

境内社 天満宮。鳥居近くに設置の掲示には次の様にある。(横書)
鴨居天満宮
 明治の中頃、岩岡時治郎の姉妹が産後の肥立ちが悪く、祷んでもらっとところ、天満宮と馬頭観音を祀ったら良いと言われた。九州の太宰府天満宮に行って相談した結果、御分霊してもらい、明治39年(1906年)に代表者7人により祀られ、太宰府天満宮宮司により入魂されたと伝えられている。以前は鴨居5丁目にあったが、都市計画道路の関係で平成18年9月に鴨居杉山神社境内に遷座した。
平成18年(2006年)緑区チャレンジ事業
鴨居駅周辺まちづくり研究会
写真5
写真5 拡大 (1280×960)

境内社。覆屋の中に大山阿夫利神社(手前)、榛名神社の小祠がある。
なぜか、大山阿夫利神社の祠には「稲荷大神」と陽刻された扁額が立て掛けられてゐる。

階段は、上の方の公道から自治会館の裏手を通って境内地へ降りて行ける。
写真6
写真6 拡大 (1280×960)

日露戦役従軍紀念碑(明治三十九年四月 建之)

慰霊碑 31の氏名が刻まれ、次の碑文がある。
国家の不幸人生の悲劇戦争より大なるはなし 殊に近大戦争は一朝にして千年の歴史を葬り一瞬にして数百万の人名を奪う 真に慄然たるものがあり今次大東亜戦争に於て百戸に満たぬ鴨居町より三拾余名の戦没者を数うるに至る 洵に痛恨極まりなし
今茲に存命従軍者並に有志相集いその御霊をこの聖地に合祀しいさゝか慰霊の誠を捧げんとす
今や我が国は文化国家として経済大国を以て任ずると雖も遠く征戦の日家業をなげうち骨肉の情愛を断ち砲煙弾雨を凌ぎ屍山血河を越え北辺の曠野に南海の孤島に只管祖国の繁栄と安泰を願いつゝ散華し今日の日本の礎石となりたる諸氏の愛国の情又何にかたとえん
茲に芳名を万世に刻し英霊の冥福を祈ると共に日本国の平和と隆昌を念じ慰霊碑を建立する
 昭和五十三年五月吉日
鴨居町戦没者慰霊碑建立の会

出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.62
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十七 鴨居村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.25 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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