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大棚・中川杉山神社 (横浜市都筑区中川)

参拝日 令和4年10月16日(土)
作成日 令和4年7月3日(日)
追記日 令和6年2月14日(水)
よみ  おおだな なかがわ すぎやまじんじゃ
概要  当社(杉山神社)は横浜市都筑区中川に鎮座する。創建年代は不詳。論社。明治末期には、吾妻神社・神明社・八幡神社を合祀した。土地区画整理に伴ひ、幾度かの遷座ののち、現在地に社殿建立し、平成6年(1994)に遷座した。  
所在地  横浜市都筑区中川 6-1-1
  (35度33分16.51秒 139度34分34.74秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 杉山神社
 当社HP:大棚・中川 杉山神社
祭神   日本武命 (やまとたけるのみこと)
由緒  元 郷社 論社
 境内にある杉山神社移築記念碑(平成七年)には次の様に記されてゐる。(写真6参照)
宗教法人 杉山神社移築記念碑
 横浜市は昭和四十年二月、六大事業の一つとして「横浜国際港都建設事業・横浜北部新都市土地区画整理事業」を発表、同四十九年建設大臣の事業認可、横浜市高速三号線の免許取得、着工に至る。
杉山神社は中川町一0八四番地から同町七五七番の元吾妻社の跡地へ>五十八年十一月三十日仮社殿を設けここに遷座し、元旦祭 大祭は此処で執行された。換地も間近く建設委員会の結成に着手 資金計画に入る。移転補償金と寄附金を念頭においたが、神社地の一部八〇坪を売却し基金とすることに決し、その承認を神社本庁に申請し、同時に社殿 社務所 鳥居等の新築 改築 移築をも承認された。
 平成四年四月 中川町一一九四番地に仮換地指定され社殿は木造とし長野県諏訪市大字四賀 株式会社石田組と、同五年三月工事契約を結び翌六年九月竣工し 同十月十三日祭神勧請と配神遷座式を行い社務所 鳥居 附属建物 植栽等の完成を待ち平成七年十月十五日遷宮式典と落慶祝賀に及ぶ。
 御霊璽については杉山神社と最も由緒深いとされている和歌山県の伊太祁曽神社(*)へ赴き親しく御分霊を受け五十猛命の霊璽を拝受し御主神日本武尊と並び崇め祭る。
  背面に、経理概要、建設委員会構成者氏名のほか、
  「平成七年十月吉日建之」と刻まれてゐる。
 (*) 参考 伊太祁曽神社:いたきそじんじゃ
   社格等:明神大社、紀伊一宮、元官幣中社、別表神社 (2)
 

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(3)
由緒沿革 創祀年代は不詳であるが、古来中川町の鎮守で、当地方に数ある杉山社の一つである


 境内に「大典並合祀記念之碑」(大正四年)があり、次の様に刻まれてゐる。(漢字は当用の字体に置換えた)
大正四年十一月十日  今上天皇陛下即位ノ大礼ヲ京都ニ挙ケサセタマフ是レ寔ニ万世不磨ノ大典ニシテ億兆ノ誠歎誠喜ニ堪ヘサル所ナリ適我カ郷社杉山神社経営全ク成り部長隈元清世君幣帛供進使卜為リ奉告祭及遥拝ノ式ヲ行フ是ニ於テ村民歓喜滋ヽ加ハリ相議シ碑ヲ境内ニ建テ以テ後ニ告ク若シ夫レ郷社成立ノ由来ハ左二詳カナリ
明治四十四年九月二日神奈川県都筑郡中川村大棚字中耕地七百五十七番地無格社吾妻神社同村字大塚千七十三番地無格社神明社同村字中村千四百四十八番地無格社八幡社ノ三社ヲ同村字杉ノ森四百七十四番地郷社杉山神社ニ合祀シ郷社杉山神社卜称ス是レ官府ノ訓令ニ基クナリ四十五年一月二日同社ヲ同村字大塚千八十三番地並二千八十四番地二移ス大正二年十月四社旧境内ノ樹木ヲ売却シ以テ郷社杉山神社ノ基本財産卜為ス三年七月二十八日指定郷社ニ列セラル四年七月一日無格社三社ノ旧境内地ヲ売却シ亦基本財産ニ編入ス自今以後神社年中行事ノ支費ハコレカ利子ヲ以テ維持スルニ足ラン後ノ村民タルモノ当ニ深ク濫費ヲ戒メ益々増殖ヲ謀ルヘキナリ
 大正四年十一月
(転記は略したが、碑発起人一名、氏子総代十三名外惣氏子中、社司・故村長・村長各一名、の名も記されてゐる)
 
読み  寔ニ:まことに  適:たまたま


 『新編武蔵風土記稿』には次の様に載ってゐる(4)。境内社の第六天、合祀された八幡社、吾妻社、神明社と思はれる四社も載ってゐるので併せてを記載する。( )内は割注部分。
杉山社 (除地一段村ノ東鵜目ニアリ本社二間四方拝殿三間ニ二間南向ナリ例祭ハ十月二日村内龍願寺ノ持)
第六天 (除地十歩程村ノ中央ニテ祠モ廃セシママ未再造セス慈照寺ノ持以下九祠モ同寺ノモノナリ)
太神宮 (除地十六歩字清水谷ニアリコレモ祠ヲ廃ス)
吾妻社 (除地一畝九歩村ノ中央ニアリ吾妻山ト号ス社一軒ニ一間半南向丘上ニ登ルコト二十五間ハカリ)
八幡社 (除地二十五歩村ノ中程ニアリ社二間ニ三間坤向ナリ例祭ハ十月二日)
雑記  最寄駅は、横浜市営地下鉄センター北駅で、当社から東南東へ170m程のところにある。

・祭神について 「祭神欄」には神奈川県神社庁webによった祭神を記したが、が不足があると思はれる。
 移築記念碑にあるやうに、伊太祁曽神社から五十猛命の霊璽を拝受して祀ってゐる。また、明治44年に合祀した三社の祭神も祀られてゐると考へるのが妥当と思ふ。

・社名について 正式には「杉山神社」だが、通称は鎮座地の地名を取って中川杉山神社だらうか。一方、境内に貼られてゐた令和三年の文書題名に「大棚・中川杉山神社例大祭のご案内」とあること、遷座に当って編集、出版された書籍名「大棚中川杉山神社 社殿改築御遷宮記念」、その発行者名「大棚・中川杉山神社建設委員会」とあることから大棚の名は外しがたいとみて、当文書では「大棚・中川杉山神社」とした。(5)
・大棚村について 江戸末期に当社の鎮座してゐたのは大棚村。明治22年の町村制施行により外村と合併して中川村となった。昭和14年には横浜市に編入合併して港北区に一部となった。平成6年には区の再編で都筑区の一部となってゐる。

・鎮座地について 言葉で説明しようとしたが地図には敵はない。改築遷宮記念誌の地図の一部を引用した。
(5)  
  地図の位置1:旧跡は、大正3年まではあったといふ。
   〃   2:明治45年、遷座。(前年に四社合祀)
   〃   3:昭和58年、吾妻山山頂(吾妻神社跡地)に遷座(仮社殿)。
         港北ニュータウン建設のため。
   〃   4:平成7年、現在地。

・最古の石碑  杉山神祠之碑(写真6)は、当杉山神社の中でもっとも古い石碑。願主は神前に石碑を建て、神社の由緒を後世に伝えようと思い立った。嘉永三年(一八五〇)村人にはかって、資金を積みたて、建立は「安政三丙辰二月」とあるから、三年の歳月をかけて石に刻み、建てたものと思われる、と云ふ。(5)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 社殿 正面

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前から撮影

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 側面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 向拝の装飾(彫刻)

写真6 写真6 拡大 (2560×960)
 石碑等 社殿に向って右手にある
 写真右手(本社から遠い方)から、第六天社、宗教法人杉山神社移築記念碑、杉山神祠之碑、力石、大典並合祀記念之碑。

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 拝殿前から前方を望む。斜め右の方に鳥居がみえる。


出典・脚注
  1. 令和4年6月26日閲覧 神奈川県神社庁 神社詳細 杉山神社
  2. 令和4年5月25日閲覧 ウィキペディア伊太祁曽神社
  3. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.57
  4. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十七 大棚村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  5. 『大棚中川杉山神社 社殿改築御遷宮記念』大棚・中川杉山神社建設委員会 平成7年 地図はp.37、石碑についてはp.22〜23

改訂記録
  • 令和06.02.14 (1)ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。(2)神社庁web神社情報のリンク修正。(3)概要欄作成と記入。(4)HP等欄にウィキペディア追記。

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