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神鳥前川神社 (横浜市青葉区しらとり台)

参拝日 令和3年2月19日(金)
作成日 令和3年8月28日(土)
改訂日 令和6年2月29日(木)
 
よみ  しとどまえかわ じんじゃ  
所在地  横浜市青葉区しらとり台 61-12
  (35度32分3.50秒 139度30分39.60秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・神奈川県神社庁 神社情報 神鳥前川神社
・当社HP
祭神  日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
 橘姫命 ( たちばなひめのみこと )
 伊弉諾尊 ( いざなぎのみこと )
 伊弉冊尊 ( いざなみのみこと )
由緒 境内の碑には次の様に刻まれてゐる。
神鳥前川神社之由来
 神鳥前川神社は、今から凡そ八百年前の文治三年五月(1187)に、武蔵国、桝形城主、稲毛三郎重成が勧請した御社と伝えられております。
 天正十年(1582)、不慮の火災により御社殿が悉く焼失のため再建、更に文化九年(1812)拝殿及び覆殿を建替え、その後明治四十三年(1910)及び昭和三十五年(1960)の二度に亘り大理が施されました。
 御祭神は、倭建命(日本武尊)及び妃弟橘比売命(弟橘姫尊)、明治四十三年、伊邪那岐命及び妹伊邪那美命を奉斉の神明社を合祀し、国土開発、家内安全、夫婦和合の御神徳極めてあらたかな神社として古くから近郷近在の信仰篤く現在に至っております。
 右のように由緒深 い神社ではありますが、第二次世界大戦々中、戦後の混乱による御社殿内外の荒廃と老朽化に加えて、当地区周辺の長期に亘る土地区画整理事業等により、社殿、境内の整備が急がれるところとなり、又、土地区画整理事業竣工後この地域に新しく居住された人達のなかに、信仰ことのほか篤く、諸祭に参詣する善男、善女増加の傾向の折から、更には農村地帯であった昔、心と娯楽の拠り所であった鎮守の社を懐かしむ氏子の間から澎湃として御神殿新築と境内整備の声があがってまいりました。ここに度重なる協議を経て、昭和五十八年十月二日(1983)建設委員会を発足するに至ったのであります。
 爾来、氏子及び崇敬者一意結束して造営への努力を傾注し、昭和六十二年五月十七日(1987)旧社殿取壊しの報告祭、仮遷座祭、同月二十八日地鎮祭、十一月二十四日上棟祭、そして昭和六十三年五月十四日(1988)遷座祭、翌十五日奉祝祭を斎行、ここにめでたく近在一を誇る荘厳なる御社殿と境内の整備が竣工するに至りました。
  昭和六十三年一月十五日
神鳥前川神社建設委員会

 神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
 由緒沿革 文治元年(1185)三月、武蔵国桝形城主稲毛三郎重成の創建であり、白鳥前川社と称したが、何時の頃よりか白鳥を転じ神鳥と書き、之を「シトト」又は「シトトリ」と呼び今日に及んでいる。明治四十三年十二月二十三日、無格社神明社(祭神伊弊諾尊、伊弊冊尊)を合祀した。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(2)
神鳥前川合社 (見捨地五段許村ノ東ニアリ石階数級ヲ登リテ丘上ニ社アリ二間半ニ五間西向キナリ社前ニ鳥居ヲタツ例祭ハ九月ニテ其日ヲ定メス神鳥前川ト云ハ祭神ハ詳ナラサレト神体ハ不動ニテ秘仏ナリト云本社ノ左リノ方ニ宮守ノ庵ヲ置ク四間ニ二間ハカリ萬福寺の持)
 末社天王社 (本社ニ向ヒテ右ノ方ニアリ)
神明社 (見捨地三段許村ノ東ノ方ニアリ南向キナリ)
雑記  東急田園都市線田奈駅から東南東へ0.6kmの所にある。

 石像物が境内社の近くにあり、
 ・「堅牢地神」碑(文化九年)、「元同行」碑(天神地祇八百万神、別当萬福寺の文字も)
 ・手水鉢は「昭和六十三年四月吉日 東急建設株式会社」とある。
 境内社と冨士塚の辺りにはいくつかの碑等の石像物がある。
かつて下恩田に冨士塚があり、石像物は区画整理に伴ひ移されたと云ふ。また、現冨士塚は神明社合祀の際に築かれ下恩田の冨士塚から運んできた石が含まれてゐると云ふ。恩田メモの「下恩田の冨士塚」(3)に詳しい。なお、同メモの画像と2月19日撮影の画像を見比べると、山の形や碑の位置には相違があるので改修されたと思はれる。

 新編武蔵風土記稿の恩田村の条に伊那半左衛門の名が目についた。
 山北町内の神社巡りをしたのを機に『怒る富士』(新田次郎)をよんでゐる途中だが、住民の救済に奔走した人物である。風土記稿には、(御医師岡本玄琳清水)「亀庵ハ何ノ頃ニカ上リ地ニナリ伊那半左衛門預リ奉リ」、「元禄十一年柳沢星合二人ノ給地ヲ伊那半左衛門タヽシ」とある。
 関東郡代なので他で詳しく記されてゐる所があると思ふがメモ代りに記した。

 当地の名称は「昭和42年の土地区画整理事業の施行に伴い、恩田町の一部から新設した町。古くは都筑郡恩田村であった。明治22年の市町村制施行の際、奈良村・長津田村と合併して田奈村大字恩田となり、昭和14年の横浜市へ編入の際、恩田町となる。平成6年の行政区再編成に伴い、緑区から編入。町名は町内に祀っている神鳥(しとど)前川神社の「神鳥」に由来し、古来から神鳥とされる白鳥を選び「しらとり台」と名付けた。」(4)と云ふ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居は、奉納人の名とともに「大正十一年十一月建之」とある。一段上に二の鳥居があり、こちらは昭和六十三年奉納。
社号標も「昭和六十三年四月吉日建之」とある。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿と授与所

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

拝殿正面

社前の狛犬は平成二年四月、灯籠は昭和六十三年四月の年記がある。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

御本殿

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

境内社。奥(朱の社殿)は八坂神社伏見稲荷神社合社、手前の冨士塚は富士仙元社。

御朱印
御朱印 拡大 (454×640)

御朱印
御朱印 拡大 (462×640)


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.69
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十五 恩田村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  3. 令和3年8月4日閲覧 恩田メモ 下恩田の富士塚 2014-07-24付(2017-06-11更新)
  4. 令和3年8月28日閲覧 横浜市web内 青葉区 しらとり台

改訂記録
  • 令和06.02.29 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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