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大場諏訪神社 (横浜市青葉区大場町)

参拝日 令和3年2月24日(水)
作成日 令和3年9月4日(土)
改訂日 令和6年2月29日(木)
 
よみ  おおば すわじんじゃ  
所在地  横浜市青葉区大場町 921
  (35度33分40.33秒 139度32分11.97秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 諏訪神社
祭神  言代主神 ( ことしろぬしのかみ )
 建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
由緒 境内の「諏訪神社建設記念碑」には次の様に刻まれてゐる。
神社由緒沿革

祭神  建御名方命
    言代主命
例祭日 十月十日

 創建は棟札によると宝暦六年十月(1756年)当時の領主筧内膳及び惣氏子により大場村鎮守産土神諏訪大明神として建立された とあり、新編武蔵風土記稿にも記されている。
 又、他の棟札によると安政六年二月(1859年)、領主筧三郎左ヱ門及び惣氏子により覆殿、拝殿を建築したとの記録があり、明治元年(1867年)諏訪大明神より諏訪神社と改称する。その後、昭和二十六年六月社殿拡充、境内地の整備更に昭和四十九年四月社殿修理、石段の改修を行った。
 当神社は丘陵地にあったが平成の時代になり大場町一帯の都市化が進み、神社を含む地域を大場第三土地区画整理組合と称し土地区画整理事業を施行、これを機に惣氏子相計り境内地の整備、社殿社務所の建築 諸設備の拡充をなせるもの也
  平成五年三月吉日   宮司 志村幸男
(背面の芳名録より抜粋)
地鎮祭  平成三年十二月十八日
上棟祭  平成四年四月二十二日
完成日  平成五年三月二十五日
社殿   木造   18.02 坪
社務所  〃    15.85 坪
手水舎  〃     1.02 坪
末社   〃     0.5 坪
総工費  壱億四千六百参拾万円

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立年代不詳であるが、地頭筧三郎右ヱ門の創建と伝えられる。其後安政三年八月二十五日、大風にて社殿潰れ、同年十月村民協議して当今の社殿を新築、滋に神璽を奉遷して、爾来大場町産土神として篤く崇敬されている。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(2)
諏訪社 (見捨地三畝村ノ艮ノ方ニアリ石階六十級ヲ登リテ覆屋二間ニ二間半内ニ小祠ヲ置南向ナリ村ノ鎮守ニシテ例祭ハ年々九月十日神楽を修ス薬王寺持)
雑記  東急田園都市線市が尾駅から北北西へ1.2kmのところにある。

 神奈川県神社誌には、境内社に稲荷社、とある。写真6の小祠前に狛犬が置かれてゐるが狐のやうにも見え、これら小祠のいずれかが稲荷社なのかも知れない。新編武蔵風土記稿には稲荷社の記載があり「村ノ巽の方ニアリ」とあるが、当社との関係はわからない。

目に留めた石像物等:
  • 日露戦役記念碑 正露従軍者五名・正清従軍者一名の所属と氏名が刻まれてゐる。明治三十九年四月二十二日建之。白井姓が四名も。
  • 道路改修記念之碑 大場町産業道路の延長と幅員拡幅の工事が昭和十五年に竣成した記念の碑。皇紀二千六百年建之(昭和15年)。碑背には、敷地無償寄付者五名のの氏名と面積が記されてゐる。
  • 手水鉢 平成五年三月吉日の年記と氏子中と刻まれてゐる。龍の口から水が出るものと思ふが、当日は使用されてゐなかった。
  • 手水鉢 境内社脇におかれてゐる。「奉納 萬延二酉年正月吉日」と年記がある。
  • 灯籠  境内社前の一対。「明治四未年九月十日」の年記ある。
  • 石段  賽銭箱には「昭和四十九年四月吉日 石段改修工事業者 市ヶ尾町 高橋○○」と刻まれてゐる。当該石段は、昭和57年刊の神奈川神社庁誌に掲載の写真をみると何十段かあるので、その当時のものと思はれる。昭和五十年初めの地図と現在のと比べると、社殿のあった丘は削られ宅地に造成されてゐる。参道は60mほどあったから、社地は狭くなってゐると見える。

 当地について横浜市webでは『昭和14年の横浜市へ編入の際、都筑郡中里村大字大場から新設した町。古くは都筑郡大場村であった。明治22年の市町村制施行の際、寺家村・鴨志田村・成合村・上谷本村・下谷本村・鉄村・黒須田村・市ケ尾村・北八朔村・西八朔村・小山村・青砥村・下麻生村飛地と合併して中里村大字大場となる。平成6年の行政区再編成に伴い、緑区から編入。町名は旧村名を採った。鎌倉時代に、大場三郎というものが居住していたことから「大場」と呼ぶようになったとの言い伝えがある。地名研究で「オーバ」は「広場、とくに宮前」を意味するという。』(3)と云ふ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

社号標は背面に「奉納 平成五年癸酉三月吉日 白井○○ ○○」とある

鳥居は柱に「明治廿七年九月吉日 氏子中」と年記がある。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬・灯籠、共に氏子中・平成五年三月吉日の年記がある。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

社前から鳥居方を望む

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

境内社

覆屋に向って左側に手水鉢がおかれてゐる(写真には殆ど写ってゐない)。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.64-65
  2. 『『新編武蔵風土記稿』 巻之八十八 大場村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた) 、及び、大日本地誌体系第8巻 p.281を参照
  3. 令和3年8月29日閲覧 横浜市web 青葉区 大場町

改訂記録
  • 令和06.02.29 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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