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十社宮 (横浜市青葉区美しが丘西)

参拝日 令和3年3月5日(金)
作成日 令和3年9月11日(土)
改訂日 令和6年2月28日(水)
 
よみ  じっしゃぐう  
所在地  横浜市青葉区美しが丘西2丁目7-3
  (35度35分20.94秒 139度32分2.51秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 十社宮
祭神  国常立尊 ( くにのとこたちのみこと )
 国狭槌尊 ( くにのさずちのみこと )
 豊斟渟尊 ( とよくむぬのみこと )
 泥土煮尊 ( ういじにのみこと )
 沙土煮尊 ( すいじにのみこと )
 大戸道尊 ( おおとのじのみこと )
 大戸辺尊 ( おおとのべのみこと )
 本多和気尊 ( ほむだわけのみこと )
 大日孁尊 ( おおひるめのみこと )
 天児屋根尊 ( あめのこやねのみこと )
由緒  境内にある掲示には次の様に記されてゐる。板に端正で大変読みやすく墨書されてゐる。字体はできるだけ掲示に従った。
十社宮

鎮座地 横浜市青葉区美しが丘西二丁目七番地三
由緒
一、新編武蔵風土記稿に「十社宮」は見捨地、石川村の西の方によれり」と記載されている。
  創建年月不詳であるが周辺の状況から推察して江戸時代初期と思われる。
二、寛延二(西暦1749)年 旧社殿造営 大工 八木下金蔵
三、宝暦三(西暦1753)年 石水鉢奉献 願主飯嶋甚右衛門
四、天保十一(西暦1840)年 石坂三か所築造 当所 氏子中
五、明治十三(西暦1880)年 旧石鳥居建立 当所 氏子中
六、此の神社は古来「十社権現社」と呼ばれ隣接の薬師堂と共に別当満蔵院が代々その祭祀を守ってきた。明治維新の神沸分離令により「十社宮」と改められた。
七、平成二年三月保木土地区画整理事業に伴って社殿を移転改築しその面目を一新した。氏子の信仰篤く祭祀を伝承している。
御祭神
 國常立尊(くにのとこたちのみこと) 國狭槌尊(くにのさづちのみこと) 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと) 泥土煮尊(うひじにのみこと) 沙土煮尊(すひじにのみこと) 大戸道尊(おおとのぢのみこと) 大戸邊尊(おおとのべのみこと) 本多和氣尊(ほんだわけのみこと) 大日孁尊(おおひるめのみこと) 天兒屋根尊(あめのこやねのみこと)
恒例祭
 祈年祭   二月下旬式典執行
 例祭    十月十日式典執行 驚神社合同祭礼
 勤労感謝祭 十一月下旬式典執行

   平成六年三月吉日建之
        十社宮氏子会

 神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創建年月末詳であるが、往古より当地の鎮守として崇敬せられ、村民の信仰によって祭祀の伝統を継承している。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
十社権現社 (見捨地西ノ方ニヨレリ)
雑記  東急あざみ野駅から北北西へ2.6kmのところにある。

 横浜市webによると、当地名は、『平成元年の土地区画整理事業の施行に伴い、元石川町の一部から新設した町。平成6年の行政区再編成に伴い、緑区から編入。町名は町区域が「美しが丘」の西側にあたるため名付けた。』(3)と云ふ。
 地名「保木」(ホギ、ホウギ)の説明がないので、地図等でみると、元石川町となった際に消えたやうだ。
 ・新編武蔵風土記稿文政13年(1830):小名に「保木」の記載あり。
 ・昭和41年改測の地図:保木の記載。元石川町と記載なし。
 ・昭和60年修正の地図:元石川町と記載。保木の記載なし。
 ・平成5年修正の地図:区画整理されてゐる。神社記号が無くなってゐる。

 当社の近くには縄文早期から前期、中期の遺跡群があった(4)と云ふ。

 区画整理について、次の厚みのある石碑が建てられてゐる。
竣功記念碑
   (地図 略)
 保木土地区画整理組合
(碑背)
土地区画整理事業の沿革
組合設立  昭和五十三年六月十五日
仮換地指定 昭和五十六年十月二十日
換地処分  平成元年十月十四日
組合解散  平成二年三月吉日
施行面積  97万8186平方メートル
旧字名   保木・保野・関原・嶮山・日吉
理事    (略・17名)
監事    (略・ 2名)
評価員   (略・ 3名)
物故者   (略・ 4名)
    平成二年三月吉日
       保木土地区画整理組合

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

写真右側の建物は「保木薬師堂」、左は当社

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿。

鳥居は木製。境内地には折れた石製鳥居の柱・笠木がおかれてゐた。現鳥居の台石には「明治十三年九月吉日」と刻まれてゐる。

鳥居に向って左側に、「宝暦三(西暦1753)年 石水鉢」があり、更に左側に区画整理の碑の一部が写ってゐる。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

保木薬師堂。天明3年(1783)建立の建物で区画整理の際に移築されたと云ふ。確かに、以前の地図に比較して北へ50mほどずれてゐる。ご本尊の仏像は承久3年(1221)作で県博物館に保管され、9月12日に里帰りするといふ。(4)


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.74
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十七 石川村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  3. 令和3年8月31日閲覧 横浜市web 青葉区 美しが丘西一丁目〜三丁目
  4. 令和3年8月31日閲覧 あおば百景 保木の薬師堂・十社宮と消えた遺跡群 (山本 文義)

改訂記録
  • 令和06.02.28 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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