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| 春ノ木神明社 (神奈川県横浜市旭区東希望ヶ丘)
参拝日 令和2年10月6日(火)
作成日 令和3年5月1日(土) 改訂日 令和6年3月7日(木) |
よみ | はるのき しんめいしゃ | |||
横浜市旭区東希望ヶ丘170-11 (35度27分57.23秒 139度30分46.40秒) 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) | ||||
地図 | 参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等 | 神奈川県神社庁 神社情報 神明社
当社HP 春ノ木神明社 | |||
祭神 | 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと) 天照大神(あまてらすおおみかみ) | |||
由緒 | 境内の掲示には次の様にある。
神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)。
新編武蔵風土記稿の二俣川村の条には、神社は六社取上げられてゐて、神明社は三社あるものの当社は含まれてゐない。小名善部谷の字に榛ノ木があり、「はんのき」が転じて「はるのき」となったとする説には頷ける。(2) | |||
雑記 | 相鉄線希望ヶ丘駅から北へ0.5kmの所にある。
昭和23年に三ツ境神社を合祀したと云ふ。三ツ境神社の所在地は現在の中希望が丘249(35度27分56.2秒 139度30分20.4秒)で、明治期の国土地理院地図をみると神社記号があり、地名は蜜経、すぐ北には三ッ経、その北には三境の地名がある。三経山長楽寺の所在地は春ノ木となってゐる。相鉄線は未だ敷設されてゐない時だ。新編武蔵風土記稿の二俣川村の条に蜜経(みつきょう)新田の項があり小名に三経がある。 現在の地名「三ツ境」は鉄道駅名に因む。そして駅名は三村の境が由来されてゐる。然し、後述の蜜経塚があること、「蜜経」「三ッ経」の地名があったこと、三経山長楽寺(当社から南へ0.4km)があることを考へ合せると、三村の境だけとは思ひ込まない方が良ささうだ。(三経山の読み方は、音読みなのか、湯桶読みなのか存じ上げない) 当社境内には蜜経塚がある。旭区が平成31年に設置した標柱には「江戸中期この地に疫病が流行り、僧侶の教えで家を焼き、家財・衣類を神社境内に持ち寄り、経文と共に償却し、その灰を境内3か所に埋めたとされています。これが蜜経塚です。」と説明が記されてゐる。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) 社頭 |
写真2 拡大 (1280×960) 参道 |
写真3 拡大 (1280×960) 令和元年奉納の灯籠と社殿 |
写真4 拡大 (1280×960) 社殿に向つて右側にある石碑は表に「昭和四十三年九月十五日 神明社改築紀念碑 改築奉賛会」とある。 写真左側の大木(御神木)はタブノキでその部分は蜜経塚らしい。区の設置した標柱がある。塚上には庚申塔二基がある。 |
写真5 拡大 (1280×960) 社殿側面 |
写真6 拡大 (1280×960) 拝殿内 |
写真6 拡大 (1280×421) 向拝の彫刻 |
出典・脚注
改訂記録
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