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上菅田八幡神社 (横浜市保土ケ谷区上菅田町)

参拝日 令和3年4月16日(金)
作成日 令和3年10月9日(土)
追記日 令和6年2月26日(月)
 
よみ  かみすげた はちまんじんじゃ  
所在地  横浜市保土ケ谷区上菅田町 728
  (35度29分12.96秒 139度34分11.41秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 八幡神社
祭神  応神天皇 ( おうじんてんのう )
由緒  参道の階段脇にある案内掲示(写真付)には次の様にある。(近年設置されたものと思はれる)
上菅田八幡神社は境内社として八坂神社・天満宮を配し一度に三つの神社を参拝できる稀に見る神社です
八坂神社 写真略
 (中略)
 千年以上の歴史のある名高い祇園祭を生んだ八坂神社の御本神の御霊を頂いた上菅田八坂神社も御神輿を祭り、ご参拝の皆様には御神徳をお受けになられますことをお祈り申しあげます。

上菅田八幡神社 社侵略
 御神霊を全国八幡社の総本宮宇佐八幡(大分県)から御分霊を賜りました。
 (中略)
 上菅田八幡宮は昭和五十五年残念な事に不審火により火災に見舞われましたが、氏子衆の協力により再建され、その後も以前にも増してこの地域の守神として周囲を照らし御加護下さっております。

天満宮(天神社) 写真略
 御祭神は菅原道真公で、当社は太宰府天満宮(福岡県)より御霊を頂いております。
 (中略)
 毎月一日・十五日は上菅田八幡神社をお参りしましょう
    上菅田八幡神社世話人会

 昭和五十八年建立の「建立紀念碑」には次の様に刻まれてゐる。
 この八幡神社は 郷土 上菅田の鎮守として永くこの地に遷座され 文化十三年に再建との史録があり 又 大正十二年九月一日に発生した関東大震災には 大きな被害を蒙り当時の氏子崇敬者の多大な協力により復旧されて 爾来 百大拾有余年の歳月と風雪を経た歴史ある神社です 八幡神社の祭神は 応神天皇とされ 境内社として 八坂社 天神社があります 八坂社の祭神は 素戔嗚命とされ 天神社は九州太宰府の天満宮より御分霊により菅原道真公を御祭神とされております 八幡神社 八坂神社 天神社の建立由緒については 記録的に不詳です
 昭和五十五年二月十二日午後五時頃 不審火により 八幡神社社殿及八坂神社に全焼し一夕にして統べてが灰燼と化しました 幸に 祭神の御加護か天神社のみ類焼を免れ
 八坂社に奉斎の御輿も無事に搬出された事は 不幸中の幸でありました
 世情が騒然として驚愕の中にも 神社関係者一同 緊急に鳩首相諮り 対応策を議し 八幡神社社殿及八坂社の再建を決議した その再建資金の捻出には 広く氏子崇敬者から浄財の御寄進を求める事とし 再建委員会を発足せしめ再建への第一歩を開いた
 昭和五十六年六月七日再建委員会を開催し再建原案を 示し 再建予算を七阡萬円とする事の決定により事業の執行を促進した
 事業の施行は 本社を東京都に置く松井建設株式会社を指名業者とし 設計施行に当しめ その設計施行計画は慎重審議の上決定 再建を開始す
 昭和五十六年十月十二日 地鎮祭施行
 昭和五十七年四月二日 上棟式施行
 昭和五十七年十月三日 竣工式施行
 八幡神社社殿及八坂社の竣工式に併せて披露をなし 多くの参詣者を迎えて茲に再建が達成されたものです
 社殿再建を期し 由緒を正すため昭和五十七年九月三十日大分県宇佐市所在の宇佐神宮より 御霊の御分霊を拝戴し同年十月二日午後七時御分霊を八幡神社奥殿に神事式を施行し遷座された
 氏子崇敬者のご援助により 念願の 八幡神社社殿及八坂社の再建が恙なく完成し 再び郷土の鎮守として萬方に安らけく 守護の曙光を與えられる事の感激とこの再建に深い御理解により浄財を御寄進下された方々を永く後世に伝え そして八幡神社の繁栄とを祈念して この記念碑を建立す。
 昭和五十八年八月吉日
    八幡神社社殿 再建委員会

 神奈川県神社誌(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立年代不詳であるが古来村の鎮守であった。

 新編武蔵風土記稿(文政13年)には次の様に載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
八幡社 (除地七畝二十歩村ノ中央ニアリ石階ヲ登リテ覆屋二間ニ二間半内ニ小祠ヲ置巽ニ向フ村持ニテ例祭ハ年々八月十五日石階ノ下ニ鳥居ヲ立)
 末社天王社 (八幡ニ向テ右ノ方ニアリ)
雑記  相模鉄道西谷駅から北北東ヘ1.0kmの所にある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

写真右側の階段は慰霊碑・紀念碑

写真

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿

中央に本社(八幡神社)、向って右に八坂神社、左には天満宮。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

斜め前からみた社殿

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

向って右:「明治三十七八年戦役 従軍紀念碑」 碑背には奉天で戦死された二名ほかの氏名が刻まれてゐる。

向って左:「戦没者慰霊碑」 碑背には「昭和四十二年九月建 上菅田遺族会」のほか21の氏名が刻まれてゐる。

 

出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.32
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十七 上菅田村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.26 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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