由緒
| 境内掲示によると
神明社御由緒 (旧伊勢神宮領榛谷御厨総鎮守)
今から一千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷(はんがや)と呼ばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970)当社の御祭神・伊勢の天照大御神が、
武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向(ようごう)し、それから井川・二俣川・下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年(1225)神託があって、
神明の外宮を建て、当地を神戸(こうど)と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺としょうしたという。これにより榛谷御厨八郷の
総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に七十五度の祭祀を営み隆盛を極めたという。
その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正十八年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、御朱印地が安堵された。また、元和五年
(1619)宮居を神戸山々頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。明治二年の修営時には、明治天皇御東行の時、本陣
苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦(ほうれん)安置所の御用材を下賜された。明治六年村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
平成十年十月、鎮座1030年祭・当地遷座770年祭・伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して「平成の御造営」が行われ、380年ぶりに御本社・摂末社・
神楽殿等全ての境内建物十二棟が一新された。平成十二年四月、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。
御祭神は、天照大御神
社殿建築様式は、本殿・拝殿とも神明造り
例祭日は、八月第四日曜日
|
|
*御厨(御厨)伊勢神宮直轄の神領地
*影向(ようごう)神様が現れること
*鳳輦(ほうれん)天皇陛下の御車
|
|
社務所
|
当社HPによれば、摂社に豊受大神宮、境内社には十一社
|