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神明社(横浜市保土ケ谷区神戸町)

作成日 平成28年5月17日
よみ  しんめいしゃ 地理院地図
参拝日  平成27年5月30日(土)
所在地  横浜市保土ケ谷区神戸町107 (北緯35度27分9.56秒 東経139度35分53.21秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 神明社  神明社 HP
祭神  天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
由緒  境内掲示によると
神明社御由緒  (旧伊勢神宮領榛谷御厨総鎮守)
 今から一千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷(はんがや)と呼ばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970)当社の御祭神・伊勢の天照大御神が、 武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向(ようごう)し、それから井川・二俣川・下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年(1225)神託があって、 神明の外宮を建て、当地を神戸(こうど)と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺としょうしたという。これにより榛谷御厨八郷の 総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に七十五度の祭祀を営み隆盛を極めたという。
 その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正十八年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、御朱印地が安堵された。また、元和五年 (1619)宮居を神戸山々頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。明治二年の修営時には、明治天皇御東行の時、本陣 苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦(ほうれん)安置所の御用材を下賜された。明治六年村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
 平成十年十月、鎮座1030年祭・当地遷座770年祭・伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して「平成の御造営」が行われ、380年ぶりに御本社・摂末社・ 神楽殿等全ての境内建物十二棟が一新された。平成十二年四月、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。

御祭神は、天照大御神
社殿建築様式は、本殿・拝殿とも神明造り
例祭日は、八月第四日曜日
*御厨(御厨)伊勢神宮直轄の神領地
*影向(ようごう)神様が現れること
*鳳輦(ほうれん)天皇陛下の御車
社務所
当社HPによれば、摂社に豊受大神宮、境内社には十一社
雑記  相鉄線天王町駅から西へ400mのところにある。

 平成7年6月から14年1月にかけての境内整備事業収支報告書が掲示され、それによると支出総額は7億5000万円余、収入は借入金を含めて同額だが内訳に 道路用地として横浜市への売却、横浜市からの施設保証金があり、併せて約6割を占めてゐる。道路交通の面からは整備には金が掛かるものだ、と思ふ一方、 敷地を収用される側からは全体の配置にも影響する困った問題にもなる。良いところに落ち着いたんだらうとは思ふ。

 当社のHPは、とても充実してゐる。「郷土史」には風土記稿の保土ヶ谷・旭之部をもふりがなや註釈付で掲載されてゐたり、杉山神社考 など。風土記稿は数ページ拝読したが、漢字をこのやうに読むのか、と感心するばかりだった。



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