よみ
| とがわじんじゃ
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参拝日
| 平成28年1月日(月)
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所在地
| 横浜市保土ケ谷区瀬戸ヶ谷町196番地 (北緯35度26分41.72秒 東経139度35分21.83秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP
| 神奈川県神社庁 神社詳細 外川神社
神明社サイト内外川神社
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祭神
| 日本武尊(やまとたけるのみこと)(主祭神)
月夜見命(つきよみのみこと)
大山祇命(おおやまづみのみこと)
稲倉魂命(うがのみたまのかみ)
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由緒
| 境内には、札が建ってゐて、つぎのやうに記されてゐる。
外川神社の由来
外川神社は、保土ヶ谷宿内の羽州湯殿山の講中の先達であつた清宮與一が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝し、明治二年この地に羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請したもので、以来、小児の虫封じ、航海安全に利益があるとされてまいりました。
明治初年、神仏分離令の発布によって祭神を大和武尊とし、外川神社と改称しました。
そして平成六年九月十三日、今井川河川改修工事にともない無格社外川神社は宗教法人として認可され現在にいたりました。
平成九年十二月吉日
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明治二年に勧請し、明治初年に改称とは意味不明。神仏分離令は慶応4年から明治元年に出されてゐる。
本務社の神明社のサイトでは、江戸時代末期創建としてゐる。
宗教法人には、平成6年8月31日付けで認証されてゐる。
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雑記
| JR東海道線保土ヶ谷駅から西ないし西南西へ1.0kmのところにある。
- 社殿の後の崖にの社殿の左側に横穴がある。何だらうか。
- 嘗て、堀があり境内を流れてゐたと云ふ。明治期(13〜19年に作成)の地図を見ると、外川仙人(当社)の建物から僅かに上流の今井川から堰入れ0.7km程下流で今井川に合流してゐる。
- 昭和三十六年建立の小寿鶏放翔感謝之碑がある。大正年間に狩猟用として放鳥し、雉、山鳩が激減する中狩猟者の希望を満たしてゐるといふ。
- 日本永續講社中による「渡川神社 開山主清宮與一茂徳碑」がある。
正月も11日になると参拝者はゐないのか、カメラを持った一人と会った意外には誰も居なかった。
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