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神明社 (横浜市泉区新橋町)

参拝日 令和2年6月10日(水)
作成日 令和3年2月13日(土)
改訂日 令和6年3月11日(月)
 
よみ  しんめいしゃ  
所在地  横浜市泉区新橋町1377
  (35度26分13.58秒 139度30分48.14秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 神明社
祭神  国常立神 ( くにのとこたちのかみ )
 天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
由緒  境内の掲示には次の様に記されてゐる。
神明社のいわれ
 嘉元年間(1303年〜5年頃)の創建といわれ、最初は国常立神だけをおまつりしていたが、正和年間(1312年〜17年頃)に至り、伊勢神宮を参拝又は遙拝する人々が多くなり、村人との合議のうえ天照大神を合祀したものである。
 文政から万延にかけ社殿・境内の整備が進んだ。現在の社殿は昭和53年に建替えられたもので、その折に嘉永6年(1854年)に社殿の建築が行われたことを記した棟札が発見されました。また、大正3年に屋根を草葺から亜鉛鋼鉄板に葺き替えた記録も記してある。
 昔の祭事は村内の最年長が青年5人に奉仕させて行ったもので、春秋の祭礼を特に厳修し老若共に川で禊を行い、社殿の大桧を8回廻って心を鎮めてから奉仕したという。
 この大桧は現在幹周り3.2mで昭和49年に横浜の名木・古木に指定されている。

 神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 嘉元年間(1303−05)の創建と云い、正和年間に至り、神宮を奉拝する者が多かったので、大照大神を合祀したと伝える。文政から万延にかけて社殿・境内の整備が進んだ。昔の祭事は、村内の最年長者が、青年五人に補佐させて行ったもので、春秋の祭事を特に厳修し、老若共に川で楔し、社前の大杉を八回廻り、心身を安定させてから奉仕したという。現在鳥居内側にある周り3.25米の桧は昭和四十九年横浜市名木に指定されている。
雑記  相模鉄道いずみ野線緑園都市駅から西南西へ0.8kmの所にある。

 緑園都市駅付近は広い面積で宅地化され起伏もなだらかにされてゐるが、当社付近はそこまでは宅地化されてなくぽつんぽつんと纏って大きな木々がある。当社の背後は、載せた写真では木々に隠れて判らないが、「緑園都市」の名が付いた所謂マンションが何棟も建ってゐる。個人的には歴史の浅さを感じさせる駅名で、しかも、宅地化の前は緑豊かだったといふ、名は体を表してゐないとも感じる駅名だ。昭和51年開業で、宅地造成を見込んでの線路敷設なので、人を引きつける名が必要だったのだらう。

 この日は、泉区南部から戸塚区にかけての七社を巡ってきた。鉄道駅から歩くには辛いところでもあり、バスを大いに利用した。バス路線を調べるのも、地図上に経路・バス停が表示され、時刻表にもリンクされて便利になってゐる。脚力に問題を自覚してゐるから、比較的短距離でも利用しようと考へるやうになってきた。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

白い建物(新橋上自治会館・神明社氏子会館)の隣に桧(檜)が立ってゐる。
写真2 境内
写真2 拡大 (1280×960)

境内
写真3 社殿
写真3 拡大 (1280×960)

社殿
写真4 社殿側面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面
写真5 境内入口辺り
写真5 拡大 (1280×960)

境内入口辺り

鳥居をくぐって階段を登ってくると、右手に桧、左手に手水舎がある。

出典・脚注
  1. 『神奈川県神社庁誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.83

改訂記録
  • 令和06.03.11 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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