神社訪問記HP神奈川県横浜市 > 泉区

五霊社 (横浜市泉区新橋町)

参拝日 令和2年6月10日(水)
作成日 令和3年2月13日(土)
改訂日 令和6年3月11日(月)
 
よみ  ごれいしゃ  
所在地  横浜市泉区新橋町109
  (35度25分53.88秒 139度30分49.45秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 五霊社
祭神  日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
由緒  
 神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 永享三年(一四三一)の頃、凶作が続き盗賊の害も続発したので、村人が対策を協議中、一老人が「吾人鼓腹して楽しみとするも唯我が力のみにして衣食を得べからず。天地神明の加護なくんば之を得ず。足りて嬌れば賊を招くなり。宜しく日本武尊を奉斎して報賽祈請し且つ霊威によりて鬼賊を封止すべきなり」と述べたので、一同飜然と悟り、協力して一社を建て日夜熱祷したのを当社の創祀とする。爾後再び豊作となり賊害も消滅したという。
 社殿は享和年間及び文久元年に改築したが、昭和二十七年不慮の火災により炎上し、改築を加えて現在に至っている。
雑記  相模鉄道いずみ野線弥生台駅から東北東へ0.6km、線路の切通しの南側にある。

石像物には、
(1)手水鉢  「明治十五年一月吉祥日」、参道の階段を登った右側にある。
(2)狛犬  参道の階段を登り切ったところと、社前にある。社前の狛犬は、平成七年九月に奉納されたもの。
(3)灯籠  参道途中に一対ある。文字は隷書体で「再建」「氏子中」だけは読めた。

 新橋町は、阿久和村の南部で、昭和14年横浜市編入時にに下阿久和から名称変更された。
 明治22年に阿久和村・上矢部村・秋葉村・名瀬村・岡津村により中川村(鎌倉郡)が発足し、昭和14年に横浜市に編入された。当初は戸塚区の一部だったが、昭和61年に当地を含む泉区が分区してゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真2 境内
写真2 拡大 (1280×960)

境内

写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真4 社殿側面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真5 境内社(稲荷社)
写真5 拡大 (1280×960)

境内社:稲荷社 「豊川閣」と記された札があるので、「円福山 豊川閣 妙厳寺」(豊川稲荷)を勧請したものだらうか。狐が二対あった。

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

社前から参道方向を望む


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社庁誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.82-83

改訂記録
  • 令和06.03.11 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system