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三嶋神社 (横浜市泉区岡津町)

参拝日 令和2年6月10日(水)
作成日 令和3年2月13日(土)
改訂日 令和6年3月11日(月)
 
よみ  みしま じんじゃ  
所在地  横浜市泉区岡津町 2352
  (35度25分44.94秒 139度31分29.83秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 三島神社
祭神  大山祇神 ( おおやまつみのかみ )
由緒  元村社
 境内に由緒の立札があった。板に墨書されてゐるが半分近くが読取り難くなってゐる。読取れる写真を掲載してゐるweb頁(1)があったので利用させていただいた。
由緒
御祭神
  大山祇命 開拓・農耕・海水・山の神
社創建
創建の年代と創健者は明らかではないが和銅六年(714年)奈良時代
相模国風土記に鎌倉郡中川村字岡津三嶋神社として文献にある
再興
天文五年(1336年)室町時代
乱世の代より多くの武人・農民が岡津の地に住み心の拠り処として祭事を行った  天正十八年(1590年)安土桃山時代時の代官が守護神として社を造営整備信仰につとめた  文化四年(1807年)江戸時代江戸時代名主四人世話人九人により社を再建  昭和四十四年(1969年)昭和時代旧社殿は建立後約百六十年経過し修復も難しくなり地域の人々の浄財を仰ぎ現社殿が新築された
御祭典
一月一日元旦祭 十一月十五日七五三祝 九月七日例大祭 十一月二十三日新□感謝祭
三嶋神社
 
 神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(2)
由緒沿革 天文五年(一五三六)創建という。当時この地に土着した開拓者等が「天に大日光ありて地力を養ひ給ふ。大地の慈育なくして人生あるべからず。宣しく天神地祗を祀るべし。先づ大山祗神を祀るべし。」と一社を建て、爾後四季毎に打鼓撃鈴して祭りを続けたと伝える。
 天正十八年の頃、代官彦坂小刑部元正は居所の守護神として尊崇、社殿・境内を整備した。昭和四十三年、例祭日の変更を承認せられ、翌年十一月現社殿を改築した。

 新編相模国風土記稿には次の様に載ってゐる(3)
三島社  村ノ鎮守トス 本地仏薬師ヲ安ンス 例祭九月七日 普光寺下持
雑記  相模鉄道いずみ野線緑園都市駅からやや東寄りの南へ1.1kmの所にある。

 岡津小学校グラウンドの北側にあり、南の阿久和川の方から行くと迂回して行く。
 横浜市のwebサイトを見たところ、
ここに岡津小学校ができる以前は神社の社号標から神社まで真直ぐの参道があったが、小学校ができたため、校庭の中に参道があるという珍しい神社となった。
 石川金正氏によると、昭和四十八年、小学校の周囲を迂回するように参道が新設されたが、そのとき、校庭を通る参道は由緒のあるものなので、春秋の祭り、その他神社の行事には、従来通り使用させてもらうという覚書を、横浜市と取り交わしたということであった。
といふことだった。
 バス停を降りて、その道を歩いて行ったが、社号標には気づかなかった。参道の事情については当時知らずにゐたから、web頁の記載は思はぬ事で、google mapで見たら、確かに阿久和川にかかる橋の北側に「村社三嶋神社」と刻まれた社号標が建ってゐる。
 そして、例祭で幟旗を掲げる幟竿がグラウンドの入口(校門がある)近くに立ってゐること、また、「明治参拾参年十一月」の年記ある「数千の講員を数箇講村ニ養成」したといふ小沢六兵衛氏の顕彰碑が校地の直ぐ北側に南向きで建ってゐるのも、事情が理解できた。

石像物には、
・手水石  昭和52年奉納と思はれる
・社前の灯籠  「惣氏子中」のほか、「安政□辰九月吉日」と年記がある。
他に、賽銭箱に記されてゐるのは「基礎 石垣 工事寄進 維持昭和四十四年十一月廿七日」、石田建設(株)代表取締役氏名がある。創業は昭和33年で道路・上下水道などを手がけてゐる模様(同社HPより)。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

校門を背に写真を撮った

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

一の鳥居は昭和四十六年建立。扁額は「三嶋神社」
二の鳥居は、木製の両部鳥居。
二の鳥居の後ろ(社殿側)にある灯籠は「大正九年二月吉日建之」

写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真4 社殿側面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真5 社前から参道を望む
写真5 拡大 (1280×960)

社前から参道を望む
狛犬は、昭和二年十二月建之。東京市渋谷の方が奉納。

写真6 境内社
写真6 拡大 (1280×960)

境内社

詳細不明。灯籠・手水鉢を備へてゐる。
柱(灯籠の一部と思はれる)には「奉納 村氏子中」「弘化乙巳二年正月吉」(「日」の文字は土に隠れてゐるのかも知れない)とある。石祠には「天保十二丑二月吉日」とあり、台石には何人もの氏名が刻まれてゐる。


出典・脚注
  1. 令和3年2月13日閲覧 「八百万 神社写真集三嶋神社 掲載の由緒画像は2011年撮影と思はれる。
  2. 『神奈川県神社庁誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.98
  3. 『新編相模国風土記稿』 巻之百一 岡津村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  4. 令和3年2月8日閲覧 横浜市泉区の「岡津の三嶋神社

改訂記録
  • 令和06.03.11 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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