神社訪問記HP神奈川県横浜市 > 泉区

左馬神社 (神奈川県横浜市泉区下飯田町)

参拝日 令和2年10月14日(水)
作成日 令和3年5月8日(土)
改訂日 令和6年3月6日(水)
 
よみ  さばじんじゃ  
所在地  横浜市泉区下飯田町1389
  (35度24分16.97秒 139度28分43.28秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 鯖神社
祭神  左馬頭源ノ義朝 ( さのかみみなもとのよしとも )
  なお、神奈川県神社誌には、
   左馬頭源義朝(さのかみみなもとよしとも)
由緒  元 村社
 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創建年月不詳であるが、俚伝には飯田五郎家義の勧請といい、社地の付近には家義の墓や飯田城址と伝える遺跡を存する。一説には小田原北条時代、川上藤兵衛の勧請ともいう。天正十八年この地を領した筧為春は、当社を下飯田村の鎮守として崇敬、社殿を修復したが、その後文政九年、明治八年、大正十四年にそれぞれ改築が行われた。明治六年十二月には下飯田村の村社に列せられている.

 新編相模国風土記稿には次の様に載ってゐる(2)
鯖明神社 鎮守トス東泉寺持
 末社 稲荷
雑記  相鉄線ゆめが丘駅から西ないし西南西へ0.3kmの所にある。

 一の鳥居附近に「鯖社境内払下記念碑」があり、背面には次の如く刻まれてゐる。
当神社境内地ハ官有地ナリシガ昭和二十二年五月三日布告ノ新憲法ニ依リ当神社払下ヲ受ケ之ガ申請ニ際シ実地測量セシ○旧来ヨリ二間巾ノ参道ヲ三間巾ニ拡張スルニ当リ小菅一雄氏ヨリ地所約四十坪奉納セラル之ニ依リ昭和二十五年一月二十五日付払下許可ヲ受領シ之ヲ永遠ニ記念ス
 昭和二十五年四月十八日 氏子中

【さば神社について】
 当社は、この辺りに鎮座する「さば」神社の一つ。当日(10月14日)の神社巡りでは二社のさば神社を巡った。文書作成時に思ひついて数へてみたら十二社の内、七社を巡ってゐた。複数の市・区にあるので把握しづらいし地理院地図に記載の無い社もあるので「さば神社」でまとめてみた(さば神社一覧表)。全部巡ったら、写真や神社概略を記述して、充実させたい。とりあへず、簡便なもので。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 参道入口
写真1 拡大 (1280×960)

参道入口

写真2 社頭・一の鳥居
写真2 拡大 (1280×960)

社頭・一の鳥居

鳥居に向って右側に「鯖社境内払下記念碑」が建ってゐる。

写真3 二の鳥居
写真3 拡大 (1280×960)

二の鳥居

前を道路が横切ってゐる。鳥居は「左馬神社」

写真4 社殿正面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿正面

向って左側に境内社がある。右側にもあるが写ってゐない。

写真5 社殿側面
写真5 拡大 (1280×960)

社殿側面

赤い色の祠は、筧稲荷社。平成二十八年に社殿修復されてゐる。
筧稲荷社に向って右手に堅牢地神塔、青面金剛が形取られた庚申塔(寛延二年(1749))がある。

写真6 社殿前から鳥居方を望む
写真6 拡大 (1280×960)

社殿前から鳥居方を望む


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.96
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百二 下飯田村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.03.06 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system