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飯田神社 (横浜市泉区上飯田町)

参拝日 令和2年10月14日(水)
作成日 令和3年5月8日(土)
改訂日 令和6年3月6日(水)
 
よみ  いいだじんじゃ  
所在地  横浜市泉区上飯田町2517
  (35度25分31.21秒 139度28分33.39秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 飯田神社
祭神  左馬頭源義朝 ( さばのかみみなもとのよしとも )
 宇迦之御魂大神 ( うかのみたまのおおかみ )
 大山咋大神 ( おおやまくいのおおかみ )
由緒  元 村社
 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創建年代不詳であるが、社伝には「延応元年、飯田二郎能信当郷の地頭に復するや篤き奉幣の儀あり、猶知行平山源太郎の崇敬特に深かりし社なり」と伝え、寛政十二年二月式部権大輔菅原長量が「飯田大明神」の神号額を奉納、また文化十三年二月には神祗管領卜部良長が京都から参向奉幣、祝詞を奏上しているから、有数な古社であったことが知られる。
 新編相模風土記稿に「飯田明神社、鯖明神とも唱ふ、村の鎮守なり、稲荷、山王を合祀す、村持」とある如く、境川沿いに多く祀られている往古からの相模七鯖の一社で、境の神としての幾多の伝承も遺されている。
 明治六年村社に列した。現社殿は昭和三十年の新築になる。
 境内には「飯田神社」と題した由緒碑がある。ほぼ同文だが、終り部分には「昭和三十年に元社殿を また五十五年には参道並びに境内地の玉垣敷設等氏子の赤誠の浄罪により各々完成 社頭の面目を一新した  宮司宮本忠直記」とある。

 社頭にある掲示によると次の様。(横書)
飯田神社
 境川や和泉川沿いにみられる「サバ神社」の一社で、祭神は源義朝を主神に宇迦之御魂大神・大山咋大神です。伝承によると、飯田五郎家義がお祀りしたといわれています。縄文時代、境川沿いは入り海で、神社の境内の土手から縄文後期の人々が使った注口(ちゅうこう)土器が出土しました。境内の神楽殿は、明治20年頃、飯田学校校舎として使われていました。鳥居前には地蔵像・七観音像・庚申塔・道祖神が立っています。
泉区役所

 新編相模国風土記稿には次の様に載ってゐる(2)
飯田明神社 鯖明神トモ唱フ村ノ鎮守ナリ稲荷山王ヲ合祀ス村持下同
雑記  小田急線口座渋谷駅から南東へ1.2km、相鉄線いずみ中央駅から北西ないし北北西へ1.3kmの所にある。神奈川県と東京都の境となってゐる境川は西0.2kmのところを南流してゐる。

 横浜市のwebページには「伝承では、上飯田の柳明から寛文12年(1672)、現在地へ遷されたと言われています。」(3)。とある。
 柳明はどこなのかな、と思ふが、柳明(やなみょう)神社や道路を隔てた向ひにある柳明天満宮のある辺りなのかと思ふ。柳明神社は明治期に伊勢山から遷座したとのことで、当社との関係はなささう。

【さば神社について】
 当社は「鯖明神トモ唱フ」とあり、この辺りに鎮座する「さば」神社の一つ。当日(10月14日)の神社巡りでは二社のさば神社を巡った。文書作成時に思ひついて数へてみたら十二社の内、七社を巡ってゐた。複数の市・区にあるので把握しづらいし地理院地図に記載の無い社もあるので「さば神社」でまとめてみた(さば神社一覧表)。全部巡ったら、写真や神社概略を記述して、充実させたい。とりあへず、簡便なもので。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

社号標は「村社飯田神社」とある。背面には「昭和七年上海事変凱旋記念 陸軍航空兵上等兵勲八等三堀栄作」とある。
鳥居は、平成八年十月奉納。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

灯籠は、父母の菩提のためとして昭和五十六年参月寄贈のもの。
狛犬は、石垣完成記念、昭和五十六年十二月の奉納、上飯田町台村・氏名が刻まれてゐる。
写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真4 御本殿側面
写真4 拡大 (1280×960)

御本殿側面

写真5 拝殿前から鳥居方を望む
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿前から鳥居方を望む

鐘楼に鐘が掛ってゐる。鐘には、かつての鐘は軍需物資として供出したが、境川沿いの開発に伴ない中組が共有地を新鐘にかえこれを寄進氏子一同相計りて旧鐘楼を復修し云々、昭和四十六年九月吉日、と記されてゐる。

写真6 社頭の石像物
写真6 拡大 (1600×719)

社頭の石像物


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.95
  2. 『『新編相模国風土記稿』 巻之百二 上飯田村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 令和3年5月5日閲覧 横浜市HP 内 飯田神社

改訂記録
  • 令和06.03.06 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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