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織部八幡神社 (横浜市泉区和泉町)

参拝日 令和3年6月12日(土)
作成日 令和4年4月2日(土)
追記日 令和6年2月16日(金)
よみ  おりべ はちまんじんじゃ
概要  当社(織部八幡神社)は横浜市泉区和泉町に鎮座する。勧請年代は不詳だが元亀年中(1570〜1573)に汲沢の郷士森織部義秀が勧請したとの伝承がある。  
所在地  横浜市泉区和泉町6228-10
  (35度25分52.47秒 139度29分27.36秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 八幡神社
祭神  應神天皇 (おうじんてんのう)
由緒  神奈川県神社庁webの当社の頁には次の様に載ってゐる(1)
 勧請年代は不詳であるが、昔から上和泉の八幡さまという呼称以外に「織部八幡」と称しており、元亀年中に汲沢の郷土森織部義秀が勧請したという伝承がある。
 森織部義秀の後裔である繁春が明治13年(1880)に記した「汲沢往来」の森家の項に「寛文年中、松平氏より和泉田地13石拝領」と記されている。天正期に何かの事情があって徳川への領地委譲が出来なかったのであろう。
 いずみ野住宅の開発前は主水分(もんどぶん)集落の一番上手の、和泉川に面した豊かな森を背景に持つ丘陵の末端に鎮座していた。境内からは先土器時代の礫郡や石斧が多数発見されており、この時代から人の住み易い環境だったことが分かる。
 享保13年に社殿を再興したという棟札があったが、平成8年8月の不審火で社殿とも焼失してしまった。焼失した社殿は大正6年10月、当時の氏子23軒の赤誠により建立されたものであった。
 現在の社殿は平成9年9月に新築された。

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(2)
由緒沿革  勧請年代不詳であるが、享保十二年社殿再興の棟札が存する。俚伝に、往古から「織部八幡」と称しており、元亀年中、汲沢の郷士森織部義秀が勧請したという。現在の社殿は大正六年十月、氏子二三名の寄附によって再興されたものである。
  享保十三年:1728 、 元亀年中:1570〜1573

 新編相模国風土記稿の和泉村の条には、五社が記載されてゐる(3)。八幡宮が当社だらうか。
八幡宮  密蔵院持 下同
山王社
神明宮
鯖明神社
第六天社
雑記  最寄駅は、昭和51年に開業した相模鉄道いずみの駅で、当社から東南東(116°)へ0.4kmのところにある。

 当社の東側に大規模修繕中の低層3階建て4棟がある。集合住宅(所謂マンション)管理組合による掲示によると、その敷地地下は遊水池となってゐて、貯留量4.7万m3、水深3.8m、池底面積1.3万m2と云ふ。昭和51年改訂の地理院地図には水色に塗られてゐる。遊水池上に、平成19年前後に建物が造られたやうだ。

 境内の鐘にある「主水分」は、新編相模国風土記稿には小名として「主水分」の記載がある(3)。国土地理院地図の明治39年測図には主水分(もんどぶん)の記載があり、昭和51年二改には記載が無くなってゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 11段の階段を降りてゆく。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 鳥居は、柱に「昭和五十四年四月建之」とある。
 向って右手には鐘楼がある。(写真6参照)

写真3 写真3 拡大 (1280×960)


写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿正面
 灯籠は「昭和五十九年九月吉日 奉納氏子中」の年記がある。
 狛犬は「御社殿新築再興記念 平成九丁丑歳九月吉日 (氏名略) 建之」とある。

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿側面
 

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 鐘楼
 鐘に鋳こまれた文
此の里に住む人々の崇敬をあつめた當社には往古より神の鐘が備えられその妙音は殷々として主水分の里にこだまし氏子の心耳を浄めたが太平洋戦争末期軍需物資として供されて以来三十数年その鐘声は消え去った
氏子一同相計りて旧鐘楼を復修し平和と繁栄を祈念此の由来を後世に伝へる
  昭和五十八年九月吉日
主水分氏子一同

後方の工事は、マンションの大規模修繕工事。

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿の東の方から撮影。境内地以外には、目立った緑はない。


出典・脚注
  1. 『令和4年3勝ち30日閲覧 神奈川県神社庁 神社詳細 八幡神社 (令和6年2月16日現在、文書の存在無し)
  2. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.94
  3. 『新編相模国風土記稿』 巻之百一 和泉村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.16 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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