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佐婆神社 (横浜市泉区和泉町)

参拝日 令和3年6月12日(土)
作成日 令和4年4月2日(土)
追記日 令和6年2月16日(金)
よみ  さばじんじゃ
概要  当社(佐婆神社)は横浜市泉区和泉町に鎮座する。勧請年代不詳ながら、寛文年中とも慶長年中とも云はれる。境川・和泉川・引地川流域にある十二社の「さば」神社の一社。  
所在地  横浜市泉区和泉町4811
  (35度25分18.05秒 139度29分13.68秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等 ・神奈川県神社庁 神社情報 佐婆神社
さば神社について(当web内)
祭神  左馬頭源ノ満仲 (さばのかみみなもとのみつなか)
由緒  神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(2)
由緒沿革 勧請年代不詳であるが、俚伝には、寛文年中伊予河野氏の後裔・石川治右衛間が当地に来住、一統の守護神として奉斎したという。一説には勧請を慶長年中とも伝える(「和泉往来」明治十一年誌)。恐らく当社も、他のサバ神社と同様、往古からの社で、当地の字名「神田(かみた)」はもと神餞田であったという。天保六年社殿修復の棟札が遺っており、並木谷戸(なみきやと)の鎮守として氏子の崇敬を集めている。境内の「たぶのき」は推定樹齢三六〇年で、横浜市から名木の指定をうけている。
  寛文年中:1661〜1673 、慶長年中:1596〜1615

 新編相模国風土記稿の和泉村の条には、五社が記載されてゐる(3)。字は違ふが鯖明神が当社だらうか。
八幡宮  密蔵院持 下同
山王社
神明宮
鯖明神社
第六天社
雑記  最寄駅は相模鉄道いずみ野線いずみ中央駅で、当社から南(180°)へ0.7kmの所にある。同駅は平成2年開業で、同線が平成11年に湘南台駅まで延伸するまでは終着駅だった。

 『泉区散策ガイド』には「建立された当時は、和泉川沿いに開けた水田を見下ろす高台に鎮座していました。」(3)と云ふ。遷座したのかとも読めるが、住宅が多く建つ前は見晴しが良く、また宅地化されてゐない水田が広がってゐたと云ふ事かと思ふ。地図をみても判るが水田は皆無だ。

 祭神は、神奈川県神社庁誌(2)には、木花咲耶姫命も記載があり二柱となってゐる。違ひの経緯は判らない。

 「さば」神社は境川流域を主にいくつかある。鯖・左馬と表記されてゐたりするほか、社名を変へたり、合祀されたりもしてゐる。「さば神社について」の頁に「さば」神社の一覧を、参考のため作成してゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)


写真2 写真2 拡大 (1280×960)


写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社号標「佐婆神社」、背面に「平成元年六月建之 寄贈 伊勢原市 (有)秋山**石材店」とある
 

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿斜め前から撮影
 後方には鉄道の高架橋(相鉄いずみ野線)がある。

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿側面

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 拝殿内。御本殿が納ってゐる。

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方(泉川方向)を望む。
 階段上の狛犬の所まで行くと、より見晴しは良いが、見えるのは建物ばかり。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.93
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百一 和泉村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 令和4年3月28日閲覧 『泉区散策ガイド 水と緑と歴史の散歩道』 横浜市泉区役所総務部地域振興課製作 平成28年11月改訂 PDFファイル版

改訂記録
  • 令和06.02.16 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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