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白幡八幡神社 (横浜市神奈川区白幡仲町)

参拝日 令和3年11月26日(金)
作成日 令和4年9月7日(水)
追記日 令和6年2月13日(火)
よみ  しらはた はちまんじんじゃ
概要  当社(白幡八幡神社)は横浜市神奈川区白幡仲町に鎮座する。創建は源義家公奥州征伐の途次この地に立寄られ戦勝を祈られた、その後社祠が建立されたと伝へられる。白幡町全域の鎮守として崇敬されてゐる。  
所在地  横浜市神奈川区白幡仲町13-25
  (35度29分16.87秒 139度38分3.54秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 八幡神社
祭神  應神天皇 (おうじんてんのう)
由緒  旧 村社
 境内の掲示には次の様に記されてゐる。
八幡神社御由緒
鎮座地 横浜市神奈川区白幡仲町十三-二五 (旧白幡仲町一三八番地)
御祭神 応神天皇(誉田別尊 ほんだわけのみこと)
境内地 七五六坪
旧社格 村社(明治六年指定)
例祭日 八月吉日
沿革 御創建については詳ではないが口碑によれば、源義家公奥州征伐の途次この地に立寄られ戦勝を祈られた、その後社祠が建立されたと伝へられる、鎌倉時代、神奈川領は鶴岡八幡宮領であり白幡村の鎮守として奉斎されたものであります、旧社殿は嘉永四年(一八五二年)八月に再建せられ、また文久二年(一八六二)の棟札が残されています。 明治以後、神佛分離により神奈川町熊野神社にて兼務す、明治六年村社に列せられ、大正十二年九月一日の大震災により大破し、昭和四年九月現社殿を再建し、神饌幣帛供進社に指定せられました、 戦後は、氏子崇敬者の協賛を得て奉賛会を結成し、社殿、神楽殿の修復、社務所の新築、境内の諸整備をなし、白幡町一円の総鎮守として元旦祭、春秋の祭事、八月の例大祭などを斎行し御神徳の昂揚に努めています。
宮司 照本 力 誌
氏子戸数 約四千戸
名木古木 欅(けやき)樹齢三五〇年(横浜市指定)
楠(くすのき) 〃 一六〇年(  〃  )
附記 一、建武元年(一三三四年)松陰寺古図
二、安永八年(一七八〇年)岡山県御津郡金川町七曲神社勧請本記に所載
三、分科十三年(一八一七年)
   新編武蔵風土記稿に所載、
 「八幡社 村ノ中央丘上ニアリ (以下転記略・下記引用と同じため)」
四、天保三年(一八三三年)江戸名所図会に所載、

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創建年代は不詳であるが、口碑によれば、源義家奥州征討の途次、この地に寄って戦勝を祈られたと伝えられる。嘉永四年八月社殿を再建し、明治六年村社に列せられ、昭和九年改築、同五十一年御屋根葺替、境域の整備を完成し、白幡町全域の鎮守として崇敬せられている。

 『新編武蔵風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
八幡社 (村ノ中央丘上ニアリ九尺ニ二間南向ナリ神体ハ木ノ立像ニテ長八寸余作シラス社前ニ石ノ鳥居ヲタツ例祭年々九月五日ナリ曾ハ神奈川町能満寺ノ持ナリシカ近キ頃ヨリ村持トナレリ)
雑記  最寄駅は東急東横線白楽駅で当社から西北西(290°)へ0.6kmのところにある。

 社名は、境内の令和元年12月付掲示物に「白幡八幡神社」とあるので、それに倣った。

 境内に石碑がいくつかあった。
「白幡開道記念碑」大正十四年四月三日、碑背には開道功労者として八十人ほどの氏名が刻まれてゐる。
「白幡開道記念碑」大正十四年四月三日、碑背には開道功労者として八十人ほどの氏名が刻まれてゐる。
「馬頭観世音菩薩」碑 上町・仲町の六名による奉納
「白幡地方改良記念碑」 昭和の初めの建碑か。神社の基本財産積及び大震災後の再建復興、さらに立土地や物資の寄付をして丘(浦島丘)一帯の孤村への道路改良したといふ。発起人には「白幡開道記念碑」の発起人と同氏名が幾人かいらっしゃる。
ほか

 現在の地理院地図(標準地図)をみても建物が多くて等高線が判然としないが、(陰影起伏図)をみると正に丘の上に鎮座してゐるのがわかる。明治期の迅速測図をみても判りやすい。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 境内
 向って右手に見える建物は社務所

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面
 向拝に掲げられてゐる扁額には「八幡宮」とある。

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿側面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む
 写真左側の建物は神楽殿。その先に社務所がある。
 灯籠は昭和十五年に奉納されたもの。

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 欅


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.13
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之七十 白幡村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.13 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

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