名称 :
| 日枝神社(ひえじんじゃ)【旧称:山王権現(さんのうごんげん)・山王宮(さんのうみや)
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鎮座地 :
| 横浜市神奈川区神大寺4-22-23 (旧・神大寺字北原105番地)
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総本宮 :
| 日吉大社(ひよしたいしゃ) 滋賀県大津市坂本
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管轄神社:
| 洲崎大神(すさきおおかみ)[横浜市神奈川区青木町5-2]
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御祭神 :
| 大山祇神(おおやまづみのかみ)【旧御祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)】
一部のみ転記(元は500字余):明治維新前までは大山咋神でしたが明治維新後の神仏分離令により「山王権現」が「日枝神社」に改称されたときに、祭神の名も改められたものと思いますが、或は届出るときに誤ってしまったものかは不詳です。
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由緒沿革:
| 神大寺日枝神社の創建年代は不詳です。
江戸時代に記された【新編武蔵風土記稿】の神大寺村の項には「山王社・西北の堺丘上にあり、社は並木の大門一町余を入って南向きなり、大きさ一間半に二間、此の村の鎮守にして村民の持ちなり、鎮座の年代を伝えず」とあります。
(中略)
日枝神社の拝殿は神奈川県立公文書館収蔵の神大寺村文書(北村啓輔家文書)の中にある、元治元年(1864年)の『拝殿壱棟仕用帳』により、江戸時代末期の慶応二年(1866年)に再建された建物であることが判明した、明治〜昭和にかけて何度か改修されているが、関東大震災や横浜大空襲の被害にも遭わずに残されて来た。昭和54年(1979年)に、それまで草葺であった屋根を銅板葺にするなど大改修が行われた。又、拝殿内にある本殿は明治2年(1869年)に師岡村(現、港区師岡町)の大工、吉右衛門によって拝殿と共に造営されたものです。
神大寺日枝神社は明治以前には東海道神奈川宿にあった日蓮宗の「勘行山慈雲寺」(現在は、横浜市港北区仲手原に移転)が奉仕していたが明治維新の神仏分離令により、同じく神奈川宿青木町の「洲崎大神」の神主である吉田家が奉仕することになり、現在に至っています。
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(以下略。項目は、建物・宝物類・石像物・行事・境内樹木・その他。1000文字余 )
【日枝神社奉賛会・令和3年11月11日改訂】
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