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三枚橋神明社 (横浜市神奈川区三枚町)

参拝日 令和3年11月26日(金)
作成日 令和4年10月10日(月)
追記日 令和6年2月12日(月)
よみ  しんめいしゃ
概要  当社(神明社)は横浜市神奈川区三枚町に鎮座する。創建年は不詳。昭和元年ころ、太平社、稲荷社、山王社を合祀した。昭和61年社殿、社務所他を新築した。  
所在地  横浜市神奈川区三枚町152
  (35度29分49.89秒 139度36分30.51秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 神明社
祭神  天照皇大神 (あまてらすすめおおみかみ)
由緒  元 村社
 境内にある掲示には次の様に記されてゐる。(漢字字体は、できるだけ筆記された書体に倣った)
神明社御由緒
御祭神 天照皇大神
合祀社 太平社(猿田彦命)、稲荷社(稲蒼魂命)、地神塔、山王社(日枝社。国常立尊、大己貴命、日本武尊)
鎮座地 横浜市神奈川區三枚町一五二番地
 (旧、三枚橋村字宮原一五二番地)
境内地 三二三坪
例祭日 十月七日
御由緒 当社の御創建は詳かではないが、新編武蔵風土記稿(文政十一年)に「神明社 祭神戸の丘上にあり、社は一間半に二間西向なり、村民持、太平社と同日の例祭にて、其日は鳥山村西藏院来て事を處せりと云々」とある。
明治御維新により、神佛分離後は神奈川町熊野神社神職照本家代々奉仕す。
明治六年村社に列せられ、大正十五年十一月村内の太平権現社、山王社、稲荷社を合祀す、昭和六十一年氏子崇敬者の御奉賛により御社殿、社務所、手水舎、燈籠、社号標、参道などを新築、境域の整備を完成し御神徳の御加護に奉謝するをえたのであります。三枚町全域の鎮守として崇敬せられているのであります。
昭和六十一年六月
宮司 照本 力 謹誌 
      参考  區:区  處:処  佛:仏  燈籠:灯篭

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒不詳であるが三枚町全域の鎮守であり、明治六年村社に列せられ、昭和二年村内の大平権現、山王社、稲荷社を合祀した。

 『新編武蔵風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)
太平権現社 (村ノ東ニヨレリ麓ノ鳥居ヨリ山路チヨリノホルコト二町アマリニシテ本社ニ至レリ社ハ七尺ニ九尺爰ヨリハ近郷ノ数村ヲ眼下ニ望メリ例祭年々九月十六日)
神明社 (村名祭神戸ノ丘上ニアリ社ハ一間半ニ二間西向ナリ村民ノ持太平社ト同日ノ例祭ニテ其日ハ鳥山村西藏院来テ事ヲ処セリト云)
雑記  最寄駅は、横浜地下鉄片倉駅は南(190°)へ0.8km、根岸公園駅は0.8km(104°)、東海道新幹線・横浜線新横浜駅は北西(38°)へ1.3kmの所にある。

 社殿に向って左の石垣上には地神塔と、日枝社・名称不明の石祠がある。柵があり近づけなかったが、判る範囲では、
・地神塔:天保五□の文字が刻まれてゐる。
・日枝社:社名の他、祭神名(由緒の合祀社山王社と同じ)が刻まれ、側面に三枚橋村とある。
・不明石祠:側面に「三枚橋」の文字が読取れる。

 忠魂碑がある。戦没者として、22の氏名が刻まれ、「昭和六十一年十二月吉日 建之」とある

 江戸末期の三枚橋村は、明治22年の町村制施行で片倉村・岸根村・小机村・下菅田村・羽沢村・鳥山村・六角橋村・神代寺村と合併して小机村となり、明治35年に城郷(しろさと)村に改称、昭和2年に横浜市に編集された。(3)

 社名は正式には「神明社」、通称は実は判らなかった。三枚町神明社とするのが良かったかもしれない。
 村内他社の合祀は、境内由緒書と神奈川県神社誌とでは相違してゐるが、どちらが正しいかは確認出来ない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)


写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 鳥居は、柱に「昭和九年四月吉日」「氏子中」と刻まれてゐる。
 鳥居の柱と植栽の影になってゐるが、社号標があり「三枚町鎮守 神明社」、側面に「昭和六十年七月 建之」「宮司 照本力 謹書」、背面に「社殿竣工記念 奉納者 氏名」が刻まれてゐる。
 灯籠は、「昭和六十年七月吉日」と年記がある。個人の奉納。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 参道
 社殿に向って左側の建物には「舞殿」と額が掲げられてゐる

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 斜め前から見た社殿

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 社殿脇からの撮影
 手水舎は手水鉢に「昭和六十年八月」と奉献者八名の氏名と共に刻まれてゐる。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.13
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之六十八 三枚橋村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  3. 令和4年10月5日閲覧 イッシーのホームページ内、地理のページ市町村の変遷  石田 諭司(ISIDA Satosi)

改訂記録
  • 令和06.02.12 (1)ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。(2)神社庁web神社情報のリンク修正、誤記修正。(3)概要欄を設けた。

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