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熊野神社 (横浜市 港北区 日吉)

参拝日 平成29年11月29日(水)
作成日 平成31年1月27日(日)
追記日 令和6年4月9日(火)
よみ  くまのじんじゃ  
所在地  横浜市港北区日吉(ひよし)5-18-1 (北緯35度33分0.18秒 東経139度39分15.87秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 熊野神社
祭 神  伊邪那岐命 ( いざなぎのみこと )
 伊邪那美命 ( いざなみのみこと )
 事解男命 ( ことさかのおのみこと )
 速玉男命 ( はやたまおのみこと )
由 緒  石碑「再建記念誌」があり、次のように刻まれてゐる。正字体は、当用の字体に置換えた。
当熊野神社はもと熊野三社大権現と称し創建の年代詳ならず武蔵風土記に 当社は村の中ほど丘の中腹に在り社地に古松生茂りて古き宮地とみゆと 以て古き勧請なるを知る 旧社殿は天保五年四月当所の大工初代天野楢右衛門の工に成り 其後大正十二年四月同家三代大工天野鈴太郎に依り大修理を加へ茅葺屋根を銅板萱に改む 同年赤祇大明神並に山王大権現の二社を合祀せり かくて星霜百三十年風雪に堪へ関東大地震及び大東亜戦争にも些の災禍なく蒼古の社殿は当郷氏子の誇りなりしが 爾後無頼の徒横行し心なき仕業に社殿屡々破損し屡々修理を加へしも終には補修不可能にまで重破損せり 依て氏子総員鳩首協議の結果神域社殿を根本的に改修することに一決し 新たに建設委員を選出して直ちに実施に着手す 斯くて工事一切を上記大工第五代たる天野工務店社長天野弘之氏に依頼して昭和四十七年五月二十六日起工式を挙げ同四十八年十一月二十四日竣工す 此が経費は神社所有地の内約四百坪を売却したる代金六千壱百弐拾万円及び氏子篤志者の寄附金五百二万七千円と勤労奉仕人四百五十口を以て充てらる建設委員並に氏子総員の協心戮力終始献身的努力を尽して再建に奉仕したる功績亦た大いに与れり 今や工就り社壇一新神威増輝の慶祥を仰ぐ斯に其由来を銘記して後世に貽る
    昭和四十九年二月吉祥日
      景谷山雲外道人厚隆応需敬識

 神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒沿革  創立年代は詳らかではないが武蔵風土記稿に「熊野社、村の中ほど丘の半腹にあり、社地に古松生茂り古き宮地とみゆ」と記され、篤い崇敬を集め、社殿の改築は、天保五年、大正十二年、昭和四十九年現在の社殿に改築せられた。

 新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(2)
熊野社 (村ノ中ホト丘ノ半腹ニアリ社地ニ古松生茂リテ古キ宮地トミユ例祭毎年七月二十一日同郡平村ノ神職小泉信濃来リテ祭事ニアツカレリ読経ノコトハ村内保福寺ノウケタマハリナリ)
神明社 (村ノ北ノ方丘上ニアリ入口ニ鳥居二基ヲ立是モ保福寺持)
浅間社 (村ノ東方小高キ塚上ニアリ最小祠ナリ相伝フ昔北条家ノ麾下ノ士中田加賀守此塚ヲ築キテ新ニ此社ヲ鎮座アリシト社頭ニ古松樹生シケリタレバ古キ宮居ナルコトハシラレヌ例祭毎年九月十五日小倉村無量寺持)
山王社 (浅間社ノ向ニアリ是モ小祠ナリ保福寺持)
赤城社 (是モ同シ辺丘上ニアリ同寺持)
 神明社は、現日吉(ひよし)神社(東急電鉄日吉(ひよし)駅北東0.6km)。浅間社は当社と同じ保福寺持といふこともあり、当社の上方にある浅間社かも知れないと思ひ転記した。
雑 記  東急電鉄日吉駅から南東へ0.7kmのところにある。

 鳥居横には慰霊碑がある。「慰霊碑 昭和五十六年四月 文部大臣 田中龍夫」、碑文には「慰霊文 我カ国ハ大東亜戦争ニ依リ啓国以来未曾有ノ悲惨ナル国難ニ遭遇セシモ爾来克ク苦難ニ耐エ今ヤ漸ク平和ト繁栄ヲ世界ニ○ス指導力トナッタ惟フニ斯レハ三十有余年前只管報国ノ一念ニ燃エテ勇躍戦陣ニ赴キ或ハ南海ノ孤島或ハ北辺ノ荒野ニ鉾鏑砲火ノ下或ハ風食雨虐ノ間ニ苦戦奮闘以テ命ヲ致シタ戦病没諸士ノ誠心ノ凝固ニ他ナラナイ今爰ニ当郷出身不皈ノ勇士十有余氏慰霊ノ儀典ヲ刷イ永ク石ニ英名ヲ勒シテ後代ニ貽ノ慰霊碑トナス。」とある。背面には、大東亜戦争戦没者御芳名として十五名の日付と没地が記されてゐる。北に南に西に、さらにはソ連の病院・国内の陸軍病院と様々だが九名が昭和二十年だ。

 当社のある斜面上方への道には「浅間神社」の社号標があり、そこを登ってゆくと稲荷社があり、さらに登ると石祠がある。社号標から、浅間神社と思はれる。

 尚、地名の「日吉」は「ひよし」と読む。駅名や慶応大学キャンパスがあるなど地名はよく知られてゐるので、各地にある日吉(ひえ)神社は「ひよし」神社と読むのだと思ってゐたほどだ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2  鳥居に向って左側に慰霊碑がある


写真3  拝殿正面


写真4  御本殿


写真5  浅間神社(社名は記されてゐなかった)


写真6  稲荷神社(覆殿の中に木造の御本殿がある)


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.60 熊野神社
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之六十五 矢上村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.04.09 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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