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お三の宮 日枝神社(神奈川県横浜市南区山王町)

作成日 平成28年10月23日
よみ  おさんのみや ひえじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年1月11日(月)
所在地  横浜市南区山王町5-32 (北緯35度26分7.41秒 東経139度36分56.46秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 日枝神社  Wikipedia:日枝神社(横浜市南区)  当社HP
祭神  大山咋命 ( おおやまくいのみこと )
 宇迦之御魂命 ( うかのみたまのみこと )
由緒  社頭の掲示には次のやうにある。
由緒
一、鎮座地 横浜市南区山王町五丁目参拾弐番地
一、社名 日枝神社 氏子はその昔苫屋の一寒村の吉田新田なりしも、現在宮本地区・寿地区・伊勢崎地区・埋地々区の四十余ヶ町となれり
一、祭神 大山咋命
宇迦之御魂命
一、例祭日 九月
一、由緒 舊は山王社稲荷社と称し後西天王の御宇江戸の住吉田勘兵衛良信公が横浜吉田新田百十六町歩の埋立大工事を完成するに方り、新田住民の守護と五穀豊穣とを祈願のため寛文十三年九月十日社殿を建つ、なお吉田新田は万治年間より工を起し十有余年の歳月と私費八千両を投して出来せり
埋立によりおさんの伝説を産みたり
一、社職 角井識部尉藤原重勝初代神社主となり爾来三百年現宮司に至り奉仕す
一、社宝 獅子狗 寛文十三年九月十日吉田勘兵衛良信寄進
大御輿 昭和九年氏子寄進
神輿車 同右
一、附記 稲荷神社(旧稲荷社)は昭和五十二年六月二十五日日枝神社に合祀し社殿の一部は神楽殿に改装す

 ・寛文十三年:1673年

 吉田新田の開発者である吉田勘兵衛良信が赤坂の日枝神社の御分霊を勧請した。 大岡川の河口にあたる場所とのこと。
雑記  京浜急行電鉄南太田駅から南東へ0.2kmのところにある。当社から現在の海岸までは2.6kmある。
 吉田新田は、横浜発展の基礎を築いた新田といふ。築いた堤の内側全部が新田ではなく、海との間を保つためか沼地様の部分もあったといふ。江戸末期・明治・大正・昭和と埋立てが進んだので全部が吉田新田ではないが、関内や中華街はよく行く所だけれど、埋立て地とは知らなかった。

 境内東端には用水の堰入口にあった堰神社がある。


明治40年に日露戦捷記念として奉納された(昭和11年再建)


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