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西森稲荷神社(横浜市南区蒔田)

作成日 平成28年11月5日
よみ   地理院地図
参拝日  平成28年1月16日(土)
所在地  横浜市南区蒔田町105あたり (北緯35度25分36.68秒 東経139度36分29.94秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  
祭神  
由緒  掲示には次のやうにある。(掲示物は平成の世のものと思はれる)
西森稲荷大神 ご由緒

西森稲荷神社は古くは蒔田稲荷、大原稲荷として農耕食物の御神徳与える豊受大神を奉斎してきました。
江戸の時代においては除地として租税免除の区域とされ、明治の時代に神仏混合分離制度また神社合祀令発布により杉山神社(南区宮元町)に合祀される事となりました。
ですが小串藤吉を初めとする元氏子の人々の夢枕に左記の御神託が告げられました。
『数百年来の此の地を離れることを惜しみ合祀により廃社すると云えども神霊はなお此の地に静まり給う』
御神託を受け蒔田町の有志らが合議を重ね旧文部省教会所制度に改めて官許を得、西森稲荷大神を奉斎し、杉山神社神職がこれを兼任する形となりました。
当神社の御神徳の評判は遠く房総方面にも響き、それを照明する供物や日清日露戦争の戦勝祈願の記録を現在に伝えています。
また1923年(大正12年)の関東大震災では大岡川・中村川区域が八割以上の全壊に見舞われたにも関わらず奇跡的にも当社区域は類焼を免れました。
また別の時代には神狐の声に目を覚ました神職が山上の神殿に火災の類が及ぶのを未然に防いだ事もありました。
以下は当時の人々が西森稲荷大神の御神威を崇敬した言葉であります。
○思うに一に祈願信仰の真心によって、また稲荷大神の御神徳霊験の顕著なるを知るべきなり かくの如き広大無辺極まりなき御功徳の大神がいらっしゃるなら此の世の生きとし生けるもの全てが大神の御加護を受け、人々がその御威光を仰ぐだろう
昭和11年に当社氏子崇敬者たちにより記す

*注 現在当社は金刀比羅大鷲神社(南区真金町)の兼務社です
雑記  横浜市営地下鉄蒔田駅から南南西へ0.3kmの、横浜英和小・中・高校のある丘の西側中腹にある。吉田新田が出来る前の海岸からは1kmほどのところで、現在の大岡川右岸からは0.3kmある。
 まあ、なんとも沢山の祠がある。大原稲荷大神、三笠山大神、露木姫大神、田ノ原大黒天の名はメモしてきたが、 「けんけんのきつねワールド」の『 西森稲荷神社』がより詳しい。
 社務所と思はれる建物にある札には「御嶽教 西森稲荷神社」とある。





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